2014/12/30

今年もお世話になりました

2014年も残すところ後わずかです。
今年は田園&ブラ4のダブルシンフォニー、混声合唱団A.D.A.さんとの「土の歌」、そして尺八とオーケストラの為の作品の世界初演とチャレンジの年となりました。

また室内楽演奏会の取り組みを始め、団員もいつもとは違う緊張感を楽しむとともにアンサンブルの向上に務めてきましたが、まだまだやりたいことは盛りだくさんです。

来年もよい演奏会を開くことができるよう、精進いたします。


来年の演奏会予定
室内楽演奏会vol.3 2015年01月18日 ティアラ江東小ホール
第33回演奏会 2015年03月08日 府中の森芸術劇場ウィーンホール
第34回演奏会 2015年06月21日 ルーテル市ヶ谷音楽ホール
室内楽演奏会vol.4 2015年08月02日 ティアラ江東小ホール
第35回演奏会 2015年11月22日 府中の森芸術劇場ウィーンホール

2014年が室内オケの可能性を探る年とすれば、2015年は「王道」を意識してみました。

第33回では若きビゼーの手による交響曲と、天才モーツァルトの晩年の名作交響曲第39番を演奏します。

第34回演奏会は現在選曲中ですが、R.シュトラウスのホルン協奏曲第1番と、初となるルーテル市ヶ谷教会を舞台に、「ルーテル派」のつながりでメンデルスゾーンの交響曲第5番《宗教改革》を選曲予定です。

来年も楽しみなプログラムとなりそうです!


弦楽器メンバーも随時募集しています。
お気軽にお問い合わせください!
 →メンバー募集のお知らせ

2014/12/21

第33回演奏会:チケット販売開始のお知らせ

府中の森芸術劇場チケットセンターにて、前売りチケットの販売が始まりました。

通常1,000円が前売りでは800円となります

問い合わせ先
芸術劇場チケットセンター(042-360-4044)

2014/11/18

L.v.B.室内管弦楽団ではメンバーを募集しています!

当団では団員を募集しています。
まずはお気軽にお問い合わせください!

※2024.5.1 更新

L.v.B.はベートーヴェンやモーツァルトなどの二管編成を中心に取り上げている室内管弦楽団です。
ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、声楽など若手ソリストとの共演にも積極的に取り組んでいます。イギリス・フランス系などちょっと変わった曲や、歌曲・オペラ、時にはブラームスの交響曲にもチャレンジをしていますし、室内楽を中心の演奏会も企画しており幅広い音楽活動を楽しんでいます。

ハイドンやモーツァルトの交響曲を指揮なしで自分たちでの曲作りにチャレンジするなど、演奏技術の向上にも取り組んでいますので、既存のオーケストラでは満足できない方はもちろん、特に弦楽器でもっと弾けるようになりたいけれど今までの団体ではそのような機会がない、というかたもぜひ参加ください。

フルオケの1/100ではなく、室内オケでは1/30の役割であり、弦楽器の後ろのプルトでも「その他大勢」にはなりません。小澤征爾氏も水戸室内管弦楽団の立ち上げでは「室内オケだからできること」を考えたそうですが、既存の枠組みに囚われない活動を目指して行きたいと思います!

室内楽にも力を入れています。
「発表会」などの出し物ではなく、正式な室内楽演奏会を年2回開催しています。 オーケストラだけではなく室内楽も楽しみたい方を大歓迎です。

Facebook(http://www.facebook.com/LvB.Chamb.Orch)も開設しています!

募集パート

弦楽器全パート:各若干名(※コントラバスは一部練習会場でレンタル有)
管打楽器:現在募集はありません
※練習見学はいつでも歓迎しております。
※コンサートマスター、パートトップ経験のある方もぜひご連絡ください!

特にバイオリンパートの充実を目指しています。

【求める方】
一緒に音楽の楽しめる方を歓迎します。
どんなに演奏技術があっても独りよがりな人間よりも、逆にちょっと演奏には自信はないけれども少しずつでも上達して行きたい・・・という方と一緒に演奏をしたいと思っています。

演奏会について

オーケストラの演奏会と室内楽の演奏会をそれぞれ年2回開催しています。

【今まで利用したホール】
府中の森芸術劇場ウィーンホール
川口リリア音楽ホール
IMAホール
横浜みなとみらい小ホール
五反田文化センター音楽ホール
ミューザ川崎市民交流室
ティアラ江東小ホール
ルーテル市ヶ谷音楽ホール
かつしかシンフォニーヒルズアイリスホール
神奈川県立音楽堂
HAKUJU HALL
飯山市文化交流館なちゅら小ホール
雑司ヶ谷音楽堂 

【今後の演奏会予定】
第53回演奏会 2024年04月07日 神奈川県立音楽堂
室内楽演奏会Annex Op.1 2024年03月02日 雑司が谷音楽堂
長野公演2024 2024年07月06日 飯山市文化交流館なちゅら小ホール 
室内楽演奏会vol.22 2024年08月18日 かつしかシンフォニーヒルズアイリスホール
第54回演奏会 2024年11月10日 IMAホール
(※演奏会プログラムは各回の案内ページを参考ください)

(メインの演奏会場、府中の森芸術劇場ウィーンホール )

演奏会費について

レギュラーの演奏会では25,000-30,000円程度、小編成での演奏会(第27回演奏会)では13,000円、室内楽演奏会は5,000円程度となっています

学生・夫婦等の割引はあります
※チケットノルマはありません

選曲について

慣習として毎回ベートーヴェンの曲を1曲入れています。
団員からも演目を挙げてもらい、乗り番・難度等考慮して決定しています。
弦楽アンサンブルなど小編成の曲も積極的に採用していますが、団の性格上巨大な編成の曲が採用されることは(今のところ)ないようです。

やはりドイツ系の曲が多いですが、フランス・イギリス・北欧なども採用されています。

選曲については「美しく、貪欲に、楽しく」がモットー?ですが、時に選曲者以外誰も知らない曲が選ばれることもありますので、ちょっと珍しい名曲(迷曲)を演奏してみたい方はぜひご推薦お願いします。

作曲家別演奏回数

ベートーヴェン 82
モーツァルト 57
ブラームス 23
メンデルスゾーン 17
シューベルト 9
ハイドン 9
フォーレ 8
ドヴォルザーク 7
ラヴェル 7
エルガー 5
ディーリアス 5
シューマン 5 
グリーグ 4
サン=サーンス 4

(演奏会数3回の作曲家)
R.シュトラウス、イベール、サティ、ドビュッシー、バッハ、ミヨー

(演奏会数2回の作曲家)
L.モーツァルト、オネゲル、クレンゲル、グノー、シベリウス、ターナー、チャイコフスキー、バルトーク、ビゼー、フィッツェンハーゲン、ブリテン、ブルッフ、プロコフィエフ、ヘンデル、ポッパー、ヨハン・シュトラウス、ワーグナー、佐藤眞

(演奏会数1回の作曲家)

J.M.ウェーバー、W.F.バッハ、アーノルド、ウェーバー、ウォーロック、カザルス、クライスラー、クルーセル、クープラン、ゴルターマン、サラサーテ、シュポア、ショパン、ダマーズ、テュイレ、ドップラー、ニールセン、バーバー、パッヘルベル、ピアソラ、フィンジ、フランセ、プッチーニ、プーランク、ホミリウス、ホルスト、マルティヌー、マルトゥッチ、ライネッケ、ラハナー、レスピーギ、ロッシーニ、ロドリーゴ、ロンベルク、ヴェルディ、田中カレン、苫米地英一、邦楽、野平一郎、高昌帥

練習について

日曜日の午前中心です。
※お子様連れでの練習参加も特に問題ありません

月2〜3回、1回の演奏会で6〜8回の練習をしています。
場所は中野・大久保・池袋・江東区です。

練習は随時歓迎しております!

今後の練習予定(2024年)
・室内楽vol22(合奏)
05/19 午前 江東区文化センター大研修室
05/26 午前 江東区文化センター大研修室
06/09 午前 江東区文化センター大研修室
06/23 午前 江東区文化センター大研修室
07/14 午前 江東区文化センター大研修室
07/28 午前 砂町文化センター第2研修室
08/11 午前 総合区民センターレクホール
08/18 かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホール

・54回
08/25 午前 江東区文化センター大研修室
09/01 午前 総合区民センターレクホール
09/08 未
09/15 未
09/22 未
09/29 午前 総合区民センターレクホール
10/06 午前 クラシックスペース
10/13 午前 クラシックスペース
10/20 午前 クラシックスペース
10/27 午前 クラシックスペース
11/03 未
11/10 午前午後 IMAホール

お問い合わせ

事務局までご連絡ください
事務局へメール
※携帯アドレスの場合返信が届かないことがあります
※「lvb.c.orch@gmail.com」が受信できるよう設定ください

岩崎恭男(バリトン)

栃木県出身。
東京学芸大学及び東京藝術大学に学ぶ。日本クラシック音楽コンクール大学の部入選。
これまでにモーツアルト「フィガロの結婚」伯爵、アントニオ、「ドンジョヴァンニ」ドンジョヴァンニ、「魔笛」弁者、ヴェルディ「椿姫」ジェルモン、グランヴィル、プッチーニ「蝶々夫人」シャープレスなどのオペラに出演。また近年では一柳慧「ハーメルンの笛吹男」(岡本知高主演)などの話題作に出演、好評を博す。ベートーヴェン「第九」等のソリストも務める。
中村義春、黒田博、経種廉彦、高橋修一各氏に師事。

田子雅代(ソプラノ)

横浜市出身。
東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。卒業時、大賀典雄賞、松田トシ賞、アカンサス音楽賞、同声会賞を受賞。
第82回読売新人演奏会に出演。
声楽を山口悠紀子、中島基晴、佐々木典子の各氏に師事。
現在、東京藝術大学大学院修士課程在学中。

和田友紀菜(ソプラノ)

兵庫県明石市出身。
兵庫県立西宮高等学校音楽科卒業。
東京芸術大学卒業。
第25回兵庫県高等学校独唱独奏コンクール声楽部門最優秀賞を受賞。
第61回瀧廉太郎記念全日本高等学校声楽コンクール優良賞を受賞。第43回イタリア声楽コンコルソ入選。
これまでに、丸山有子、泉貴子、林康子、大島洋子の各氏に師事。
現在東京藝術大学大学院音楽研究科声楽専攻独唱科二年に在学。

田口昌範(テノール)

秋田市出身。
東京音楽大学卒業。東京芸術大学大学院修士課程独唱科修了。
モーツァルト作曲『戴冠ミサ』『レクイエム』、ハイドン作曲『テレジアミサ』、ベートーベン作曲『ミサソレムニス』『第九』、シューマン『楽園とペリ』『レクイエム』、シューベルト『ミサ曲第2番』『ミサ曲第6番』、ドヴォルジャーク『スターバトマーテル』などのソリストを務める。
大学院在学中には、東京芸術大学合唱定期演奏会において、2010年度シューマン作曲『楽園とペリ』(若者役)、2011年度ベートーベン作曲『ミサソレムニス』、2012年度ドボルジャーク作曲『スターバトマーテル』を歌い、3年連続ソリストを務めた。
これまでに、長谷川留美子、田代誠、吉田浩之の各氏に師事。

印田陽介(チェロ)



千葉県八千代市出身。

東京藝術大学附属音楽高等学校を経て同大学音楽学部を卒業後渡欧、チェコ・プラハ音楽院に学ぶ。

チェコ・ドヴォルザークホールにてトマーシュ・ヤムニーク氏と二重協奏曲を共演するなど、オーケストラとの協奏曲の共演等ソリストとして活動するほか、ヴァイオリニストの姉・印田千裕とのデュオ、各種室内楽、オーケストラやレコーディング、ライブサポート等、クラシックのジャンルにとらわれない幅広い活動を展開している。

認定NPO法人 トリトン・アーツ・ネットワーク「アウトリーチセミナー」修了。 蓼科音楽コンクールin東京・室内楽部門第1位、ユースプラハ国際音楽コンクール・弦楽アンサンブル部門金賞ほか多数受賞。

ミモザ弦楽四重奏団、シェリールトリオチェロ奏者。小田原室内管弦楽団主席チェロ奏者。ビーネンアンサンブル、はにかる、直会、ハリーのしっぽメンバー。

CD「Water Droplets -珠玉のデュオ名曲集-」「菅原明朗器楽作品集(無伴奏セロソナタ)」「都市の陰影(ハリーのしっぽ)」「直会 -Nao Rai-」など多数リリース。


■印田陽介:https://yohsukeinda.com/index.html
■印田陽介Twitter:http://twitter.com/yohsukeinda/

伊藤晴(ソプラノ)

三重大学卒業。武蔵野音楽大学大学院修了。日本オペラ振興会オペラ歌手育成部第25期修了。
これまでに「フィガロの結婚」ケルビーノ、育成部修了公演「修道女アンジェリカ」アンジェリカ、「ティレジアスの乳房」ティレジアスを始め、ブルガリアにて演奏会形式「フィガロの結婚」伯爵夫人役でソフィア・フィルハーモニーと共演。

日本オペラ連盟人材育成オペラ「修道女アンジェリカ」アンジェリカ、武蔵野音楽大学本公演「コジ・ファン・トゥッテ」フィオルディリージ、沼尻竜典&トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズ「フィガロの結婚」スザンナ、横浜みなとみらい小ホールオペラシリーズ、プーランクのモノオペラ「声」等のオペラに出演。P.コンヴィチュニーオペラ演出アカデミーinびわ湖2011「ラ・ボエーム」にムゼッタで参加するほか、’12藤原歌劇団本公演「フィガロの結婚」スザンナのアンダースタディを務める。

また「メサイア」、「第九」、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」、グノー「聖セシリア荘厳ミサ」等コンサートや宗教曲ソリストとしても活躍する。
現在パリ地方音楽院(CRR)に在籍。CRRオーケストラによるラヴェル「子供と魔法」リス&安楽椅子役、シャトレ座におけるアラン・ルヴィエ指揮ドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」に処女エリゴーヌの声カヴァーとして参加、サル・プレイエルでのプレリュードコンサートにおいてブラームス「愛の歌」ソリストで出演、マントヴァ・ソチャーレ歌劇場(伊)でのヴェルディ・ガラコンサート等活動の場を広げている。
藤原歌劇団準団員。

印田千裕(ヴァイオリン)


3歳よりスズキ・メソードでヴァイオリンを始める。
東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、同大学音楽学部卒業。野村財団より助成金を得て英国王立音楽院に留学し、Diploma of the Royal Academy of Music (Dip RAM)を得て卒業。

これまで吉川朝子、澤和樹、ヴォルフガング・マルシュナー、ジョルジュ・パウクの各氏に師事する他、ヘルマン・クレッバース、トーマス・ブランディス、ザハール・ブロン、フェデリコ・アゴスティーニ、オレグ・クリサのマスタークラスを受講、99年、イーストマン音楽学校夏季セミナーin浜松では、ディレクターズ・スカラシップを授与される。

ノヴォシビルスク・ヤングヴァイオリニスト国際コンクール・ジュニア部門第3位、万里の長城杯国際コンクール総合グランプリ、マルシュナー国際コンクール第3位、江藤俊哉ヴァイオリンコンクール第1位。同コンクール入賞記念演奏会にて日本フィルハーモニー管弦楽団とブラームスのヴァイオリン協奏曲を共演。帰国後も国内外のオーケストラと協奏曲の共演、ソロリサイタル、室内楽など幅広く演奏活動を展開している。

2009年CHANEL Pygmalion Days参加アーティスト。また邦人作品の演奏にも積極的に取り組み、CD「日本女性作曲家の歩み~ヴァイオリン作品~」(平成21年度文化庁芸術祭参加作品)「山田耕筰 ヴァイオリン作品集」(レコード芸術準特選盤)などをリリース。
ストラミュージック音楽スクールヴァイオリン講師。


印田千裕オフィシャルウェブサイト 

写真:©小島竜生

西垣林太郎(ギター)

西垣林太郎(にしがきりんたろう)
両親祖父母とも芸術家という環境で幼少の頃より演奏を始め,全国コンクールにて,ソロ,デュオで多くの賞を得た後,各地で演奏活動を行う。
甲陽学院高等学校卒業後,フランス国立ニース音楽院に留学。
アコ・イトウ,アンリ・ドリニに師事。在籍中より,フランス,イタリア各地で演奏活動を行う。
音楽学校講師,各地の音楽学校での招待演奏,音楽学校学年末試験審査員などに従事。
帰国後は数多くのアンサンブルに参加。洋の東西を問わず様々な楽器と,クラシック,ジャズコンボ,古楽などの多様な編成やソロでの演奏活動を展開。時代・ジャンルの枠を超えて音楽に取り組む。
新作初演を多く手掛ける一方,モダンギター,ロマンティックギター,バロックギターを用いたソロや室内楽の公演も積極的に行い,参加録音,映像も数多い。
正倉院宝物復元,四絃と五絃琵琶や古代エジプト復元リュートの演奏も手がけ,「コンサートジェネシス」,「正倉院の響き」,「千年の響き」シリーズや,朝日放送正倉院展特別番組「天平の音」などに出演。2010正倉院展用音声ガイドの五絃琵琶の演奏・作曲も手がける。
ソルフラン国際音楽教室ギター及びアンサンブルクラスの講師他。
趣味は卓球,ヴァイオリン,ヴィオラ。

岸 美奈子(ピアノ)

3歳より母の手ほどきによりピアノを始める。
5歳より「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。
第46,47回全日本学生音楽コンクール東京大会小学校の部奨励賞受賞。
フィリップ・アントルモン氏と共演。
第49回全日本学生音楽コンクール東京大会中学校の部第3位。
ながのアスペンミュージックフェスティバルで奨学生に選ばれ米国コロラド州アスペンミ
ュージックフェスティバルに参加。
1997年東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校入学。
第9回,第10回京都フランスアカデミーでファイナルコンサートに出演。
京都の第4回リレー音楽祭inアトリウムにおいてソロリサイタル。
フランスの第7回FRENCH PIANO INSTITUTEに参加し奨学生に選ばれる。
2000年東京藝術大学音楽学部入学。
2001年モスクワ音楽院に留学。翌年ザルツブルク・サマー・アカデミーにてコンサート出演。
2006年東京藝術大学音楽学部卒業。
2008年6月王子ホールにてソロリサイタル。
2009年9月東京藝術大学卒業生・新進演奏家シリーズにてソロリサイタル。
2010年4月カワイ表参道・パウゼにてソロリサイタル。
5月日本ショパン協会主催のショパン・フェスティバル2010 in 表参道に出演。
6月川口・リリア音楽ホールにて「カワイコンサート」ソロリサイタル。
現在武蔵野音楽大学非常勤講師として後進の指導にもあたっている。またイオン・グレルーシュ氏やアナスタシア・チェボタリョ-ワ氏と共演するなど、ソロ、室内楽、伴奏等で演奏活動を行っている。
これまでに渡部有子、三好泰子、須田真美子、多美智子、セルゲイ・ドレンスキー、東誠三各氏に師事。

2014/10/20

L.v.B.室内管弦楽団第33回演奏会

L.v.B.室内管弦楽団第33回演奏会

2015年3月8日(日) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール
13:30 開場 14:00 開演
全席自由 1,000円(前売800円)

指揮:
 広井 隆

曲目:
 L.v.ベートーヴェン/序曲《コリオラン》作品62
 W.A.モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調 K.543
 G.U.フォーレ/パヴァーヌ 作品50
 G.ビゼー/交響曲ハ長調


室内オーケストラらしい、充実のプログラム。 モーツァルトの晩年の傑作第39番と若きビゼーの交響曲の聴き比べをお楽しみください。

39番は40・41番並ぶモーツァルトの最高傑作の一つ。
40番や41番ほど神秘的な曲ではなく、リラックスして楽しめる名曲です。

一方ビゼーは「カルメン」でオペラ作曲家として知られていますが、この交響曲を10代で書き上げています。小編成で古典の香りのする交響曲ですが、ビゼーらしい明るさに溢れる愛らしい曲です!

お問い合わせ:
 メールでのお問い合わせ
チケットの取り扱い:
 芸術劇場チケットセンター(042-360-4044)
 イープラス

会場アクセス:
 東府中駅(新宿駅から約25分、京王八王子駅から約20分)北口下車 徒歩7分

2014/10/14

F.P.シューベルト/交響曲第8番ハ長調 D944《大交響曲》

"The Great"

譜面にさりげなく記されたその単語に、ただならぬ気配を既に漂わせています。

もっとも真相は同じくハ長調の交響曲が第6番にもあるため、「大きな方のハ長調」という程度で、「偉大なる交響曲」とかそんなロマンティックな意味はないようです。

モーツァルトのト短調は第25番と第40番があります(第25番は映画「アマデウス」の冒頭に用いられた曲ですね)。
こちらは第25番を「小ト短調」、第40番を「大ト短調」と俗称で呼ぶのと同じようなものでしょうか。

しかしながら我々アマチュア演奏家に取って「グレート」と言えばこのシューベルトの第8交響曲を指すことは間違いなく、そこには「大きなだけ」ではなく少なからぬ畏怖の念が込められています。

まずはかのロベルト・シューマンが「天国的な長さ」と評した曲の長さです。
50分超という時間はベートーヴェンの第9(74分)やマーラーやブルックナーの交響曲には及びません。
しかしながら1155小節もの終楽章はほとんど息つく間もなく駆け抜けることになる為、肉体的・精神的なタフさはこの「グレート」により求められます(マーラーやブルックナーは1時間を越えるのですが途中ながーい休みがあったりますので)。

体力だけではなく、演奏上もなかなか難しい曲です。
これまた終楽章はおそらく歴史上数多くの弦楽器奏者を泣かせたであろうパッセージがでてきます。
難しい箇所は1回だけであればミスをしても精神的ダメージは軽く済むのですが、シューベルトは親切にも3回繰り返して書いてくれています。
最初にミスをしても立ち直る時間もなく2回目3回目と来ると・・・なかなか追い込まれますね。


さて、通常はフル・オーケストラで演奏されるこの「グレート」ですが、第30回のブラームスの第4番に続きあえて室内オーケストラで取り組んでみました。
プロオーケストラでもヨーロッパ室内管弦楽団をはじめスウェーデン室内管弦楽団、蜜室内管弦楽団などでも取り上げられていることと、「シューベルティアーデ」なる言葉があるように室内楽や歌曲にシューベルトの原点を求め、室内オーケストラによる「グレート」の取り組みも面白いのではないかと思います。


シューベルトはかのサリエリに師事して作曲を学び、先達であるベートーヴェンをとても尊敬していました(「グレート」の終楽章中間部には「歓喜の歌」の旋律が用いられています)。
サリエリが教材にしたハイドンやモーツァルト、それから尊敬するベートーヴェンともまったく違う、シューベルトらしい曲を残していますが、当時のシューベルトはやはり「歌曲の作曲家」の印象が強かったのか生前にはほとんど交響曲が演奏されることはなかったようです。
この「グレート」に至っては楽譜を献じられたウィーン楽友協会が演奏することもなく、10年以上経ってシューマンが文字通り「発掘」し、メンデルスゾーンが初演することがなかったら・・・人類にとってどれだけ大きな損失であったことでしょうか。

シューマンやメンデルスゾーンの功績はもちろん、10年以上もシューベルトの遺品を守った兄・フェルディナントに後世の人間はどれほどの感謝をするべきでしょうか!


注)
最近利用されるベーレンライター版には"The Great"の表記はなかったりします。
これは最初に出版した際に出版社が勝手に付けたから、とのことですが、それにしてもよいタイトルをつけてくれたものです。

2014/10/13

演奏会履歴(第21〜25回)

第21回演奏会
2010年3月13日(土)
 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆

 W.A.モーツァルト/「フィガロの結婚」序曲 K.492
 W.A.モーツァルト/交響曲第38番《プラハ》 ニ長調K.504
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第5番《運命》 ハ短調作品67
 G.フォーレ/パヴァーヌOp.50(アンコール)

第22回演奏会
2010年10月16日(土)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 L.v.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」 作品62
 F.F.ショパン/ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21 -生誕200周年-
 F.メンデルスゾーン-B/交響曲第4番《イタリア》イ長調作品90
 O.レスピーギ/リュートのための古代舞曲アリア第3組曲より「イタリアーナ」(アンコール)


第23回演奏会
2011年4月23日(土)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 G.プッチーニ/菊
 J.ロドリーゴ V./アランフェス協奏曲(独奏:西垣 林太郎)
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第3番《英雄》変ホ長調作品55
 J.S.バッハ/管弦楽組曲第3番より「アリア」 (アンコール)

第24回演奏会
2011年9月25日(日)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 G.U.フォーレ/組曲《マスクとベルガマスク》 作品112
 W.A.モーツァルト/交響曲第41番《ジュピター》 ハ長調 K.551
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調作品21
 W.A.モーツァルト/交響曲第1番より第2楽章(アンコール)
 W.A.モーツァルト/ディベルティメントK.136より第1楽章(アンコール)

第25回演奏会   
2012年3月24日(土)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
 
 E.A.Lサティ/いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせる為のファンファーレ
 E.A.L.サティ/組み立てられた3つの小品
 C.C.サン=サーンス/ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調 作品61
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第8番 ヘ長調 作品93
 F.ディーリアス/「春初めてのカッコウを聞いて」(アンコール)

演奏会履歴(第16~20回)

第16回演奏会
2007年11月3日(土)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 F.T.A.ディーリアス/小オーケストラのための2つの小品
 M.C.F.ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調作品26(独奏:印田 千裕)
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調作品92
 W.A.モーツァルト/歌劇「皇帝ティートの慈悲」より序曲(アンコール)


第17回演奏会
2008年4月13日(日)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 W.A.モーツァルト/序曲「後宮からの誘拐」K.384
 W.A.モーツァルト/交響曲 第35番「ハフナー」ニ長調K.385
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」ヘ長調作品68
 ヨハン・シュトラウス2世/アンネン・ポルカ(Annen-Polka) Op.117(アンコール)

第18回演奏会
2008年9月23日(火・祝)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆

 A.オネゲル/「夏の牧歌」
 R.シューマン/ピアノ協奏曲イ短調作品54(独奏:岸 美奈子)
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調作品60
 W.A.モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」より序曲(アンコール)


第19回演奏会
2009年3月1日(日)
 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆

 L.v.ベートーヴェン/序曲《エグモント》 作品84
 W.A.モーツァルト/交響曲 第36番《リンツ》 ハ長調K.425
 F.メンデルスゾーン-B/交響曲第3番《スコットランド》 イ短調作品56
 E.エルガー/「愛の挨拶」(アンコール)

第20回演奏会   
2009年9月26日(土)
 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
 
 L.v.ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
 J.ブラームス/交響曲第1番ハ短調作品68
  独奏・ゲストコンサートマスター:印田 千裕)
 W.A.モーツァルト/セレナーデ第7番《ハフナー》より「ロンド」

演奏会履歴(第11~15回)

第11回演奏会
  2005年4月2日(土) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
  モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲 K.588
  W.A.モーツァルト/ファゴット協奏曲変ロ長調 K.191(独奏:宮永 康史)
  グリーグ/「2つの悲しき旋律」 作品34
  L.v.ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調 作品93
  G.H.v.ホルスト/「セント・ポール組曲」より"オスティナート"(アンコール)
第12回演奏会
  2005年10月9日(日) 府中の森芸術劇場ウィーンホール 指揮:広井 隆
  モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 K.527~第一幕より抜粋
   独唱:
    岩崎 恭男(ドン ジョヴァンニ)
    後藤 百映(ドンナ アンナ)
    太田 賢二(ドン オッターヴィオ)
    尾崎 美代子(ドンナ エルヴィラ)
    須山 智文(レポレッロ)
    安東 玄人(騎士長/マゼット)
    尾畑 里美(ツェルリーナ)
  W.A.モーツァルト/「Ave verum corpus」ニ長調、K.618(アンコール)
  L.v.ベートーヴェン/交響曲第1番ハ長調 作品21
第13回演奏会
  2006年3月21日(火・祝) 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆
  L.v.ベートーヴェン     ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61(ヴァイオリン:三浦 章広)
  J.ブラームス/「セレナーデ第1番ニ長調 作品11」
  B.ブリテン/「シンプルシンフォニー」より第2楽章「Playful Pizzicato(おどけたピッツカート)」(アンコール)
第14回演奏会
  2006年10月8日(日) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
  バルトーク.B/ルーマニア民俗舞曲Sz.68
  L.v.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37(独奏:岸 美奈子)
  F.P.シューベルト/交響曲第7番「未完成」D.759
  F.P.シューベルト/劇付随音楽「ロザムンデ」D.797(作品26)より第2曲「バレエ音楽」(アンコール)
第15回演奏会
  2007年3月31日(土) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
  E.エルガー/弦楽セレナード ホ短調作品20
  S.S.プロコフィエフ/古典交響曲 ニ長調作品25
  L.v.ベートーヴェン/交響曲第3番 変ホ長調「英雄」作品55
  J.S.バッハ(L.ストコスフキー編曲)/アリア(アンコール)

演奏会履歴(第6~10回)

第6回演奏会
  2002年10月14日(月・祝) 府中の森芸術劇場ウィーンホール 指揮:広井 隆
  L.v.ベートーヴェン/序曲「コリオラン」作品62
  F.メンデルスゾーン-B/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64(ヴァイオリン:印田 千裕)
  L.v.ベートーヴェン/「交響曲第1番ハ長調 作品21」
  G.F.ヘンデル/組曲「水上の音楽」、「HORNPIPE」より(アンコール)
  W.A.モーツァルト/「ディベルティメントK136(125a)」より第1楽章(アンコール)
第7回演奏会
  2003年4月5日(土) 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆
  W.A.モーツァルト/歌劇「フィガロの結婚」K.492 序曲
  R.ワーグナー/「ジークフリートの牧歌」
  L.v.ベートーヴェン/「交響曲第7番イ長調 作品92」
  J.シベリウス/戯曲「クオレマ」Op.44より「悲しきワルツ」(アンコール)
第8回演奏会
  2003年10月18日(土) 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆
  L.v.ベートーヴェン     ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61(ヴァイオリン:三浦 章広)
  J.ブラームス/「セレナーデ第1番ニ長調 作品11」
  B.ブリテン/「シンプルシンフォニー」より第2楽章「Playful Pizzicato(おどけたピッツカート)」(アンコール)
第9回演奏会
  2004年4月17日(日) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
  W.A.モーツァルト/歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
  L.v.ベートヴェン/ロマンス第2番ヘ長調 作品50
  F.ディーリアス/”春を告げるかっこうを聞いて”(「小管弦楽のための2つの小品」より)
  L.v.ベートーヴェン/「交響曲第5番ハ短調 作品67」(ベーレンライター校訂新版)
  E.エルガー「弦楽の為のセレナーデ」より第3楽章(アンコール)
第10回演奏会
  2004年10月11日(月・祝) 府中の森芸術劇場 ウィーンホール 指揮:広井 隆
  L.v.ベートーヴェン/「ピアノ協奏曲第1番ハ長調 作品15」(ピアノ:岸 美奈子)
  F.メンデルスゾーン-B/「交響曲第5番ニ短調 作品107<<宗教改革>>」
  F.メンデルスゾーン-B/劇付随音楽「夏の夜の夢」作品61より第7曲「夜想曲」(アンコール)

L.v.ベートーヴェン/六重奏曲作品81b

 ベートーヴェンの室内楽と言えばやはり弦楽四重奏です。
 音楽家にとってはバッハの平均律クラビーア曲集が旧約聖書、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が新約聖書だ、とまで言う人もいるぐらいの存在感があり、前期・中期・後期それぞれの作品群はいずれも名曲ぞろいです。
 他には「大公」「幽霊」などピアノ三重奏曲も人気があるでしょうか。
 一方でこのヴァイオリン、ビオラ、チェロ、そして2本のホルンのための六重奏曲はその存在を知っている人も稀ではないでしょうか。活躍するホ ルン奏者にはもしかしたらそんなことはないかもしれませんが、「六重奏曲」と聞けばブラームスの弦楽六重奏曲を思い浮かべる人の方が多いかもしれません。
 作曲されたのは1795年頃です。
 作品番号では運命の作品67よりも後、「エグモント」作品84の前なのですが年代はもう少し遡り、交響曲や弦楽四重奏曲の第1番よりも前の作品です。
 同時期には有名なピアノソナタ「悲愴」が作曲され、まだ10代のベートーヴェンが駆け出しのピアノ・ヴィルトーゾ奏者として活動していた時期にあたります。
 室内楽演奏会のプログラムであるモーツァルトのオーボエ四重奏曲とほぼ構成が同じであることから分かるように、この時代のベートーヴェンはまだまだ古典音楽の枠組みをでていません。
 しかしホルンの限界に挑むかのような内容は若き楽聖の力作であったはずです。ベートーヴェンはボンで過ごしていた時代にホルン奏者のジムロック(後に楽譜の出版社として成功します)にホルンの演奏を習ったことがあるそうですからきっとその経験が生かされたことでしょう。
 ベートーヴェンは管楽器のためのソナタを1曲だけ残していますが、それもホルンのための作品です。「英雄」や交響曲第7番をはじめオーケストラでも活躍しますし、ホルンは楽聖にとって思い入れのある楽器であるようです。
 ホルン奏者に聴いてみると1stホルンはとにかく音が高いそうです。
 そして2ndホルンに至ってはバイオリンと同じ分散和音や細かいパッセージがでてきます。最初はホルンで、次はバイオリンで・・・と音色の違いなどを考えているのでしょうが、ホルンの吹けない弦楽器奏者から見ても大変なことは分かります。
 こうした演奏できないのではないか、という個所は後期の作品でも出てきますから、楽聖ベートーヴェンは若いころから妥協なき作曲に取り組んでいたのだ、ということかもしれません。

佐藤眞/混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「土の歌」

「母なる 大地の 懐に〜♪」

学生時代、合唱の授業やコンクールで歌った方も多いでしょうか。
この「大地讃頌」は1962年に作曲されたカンタータ「土の歌」の終曲です。

カンタータは全部で7曲からなっていますが、「大地讃頌」は定番曲として独立して歌われることも多い名曲です。

しかし、その終曲に至るまでの歌詞・テキストがあってこの曲の本当の魅力が分かるはずです。


第1曲:「農夫と土」
畑に種をまき、育てる農民の生活を歌っています。
中間部は朝のさわやかな気持を表すかのように弾んでいますが、牧歌的な導入です。

第2曲:「祖国の土」
大地、星空、花咲く丘、地域によってもちろんイメージする姿は異なりますが、祖国を、郷土を愛する気持が金管楽器のファンファーレに始まり歌われます。

第3曲:「死の灰」
一転して歌詞も曲調も暗いものとなるこの曲は、戦争の愚かさを嘆く悲痛な叫び、死の灰とはもちろん広島・長崎に落とされた原爆への嘆きを歌います。

第4曲:「もぐらもち」
スケルツォのような軽快さはありますが、土に潜り目の見えないもぐらは戦争の愚かさを知る由もありません。
しかし「死の灰」をおそれる人間が地に潜ってでも逃げようとする姿をもぐらの視点から描いた歌詞は人間の愚かさを強調しています。

第5曲:「天地の怒り」
人間がどれほど科学を研究し、生物の頂点と奢っても、天災の前には無力です。
大雨、洪水、雷、火山、畑を耕す農民にも、死の灰を恐れる人間にも大地は時として凶暴な怒りを向けることになります。

第6曲:「地上の祈り」
自然の怒りに晒されたとしても、それでも人間は大地で生きています。
例えば大雨の後の虹を美しいと感じます。
時には恵みを、時には災害をもたらす自然と人はどのように向かい合うのか、科学の発展や戦争で傷つけた大地を前に何を考えるのか、そんなメッセージがあるのではないでしょうか。

第7曲:「大地讃頌」
ようやく終曲です。
遠い未来には人間は大地を捨て、宇宙に移住する時が来るのかもしれません。
しかし今の我々は大地によって生かされているのだ、その当たり前のことに気がつくべきではないか、と訴えかけます。


「大地讃頌」のみを取り上げてしまうと、綺麗な曲だけどなんだか説教臭いなと感じてしまうのですが、そこに至る6曲があってはじめて”感謝”の言葉が実感できるのではないでしょうか。

この曲はオーケストラ伴奏が原曲ですが、楽譜が一般には販売されていないこともありなかな演奏される機会がありません。
ピアノ伴奏では合唱の歌詞が中心となりますが、オーケストラ伴奏はカンタータとしての世界感がより豊かに表現された、また違う魅力のある曲となっています。

どちらが優れている、ということではないので演奏される機会があればぜひ足を運んでいただきたい名曲です。

※オーケストラ版は東京交響楽団のCDがリリースされています。

L.v.ベートーヴェン/交響曲第6番へ長調《田園》 作品68

9つの交響曲の中でもちょっと異色な作品がこの《田園》ではないでしょうか。
ハイドンやモーツァルトにもタイトルをもつ交響曲はありますが、具体的な情景描写をした最初の作品・・・と言われています。

もしベートーヴェンがこの作品により標題音楽の世界を開拓しなければ、ベルリオーズの幻想交響曲、リストの交響詩、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲なども生まれなかった、かもしれないほどインパクトのある作品だと思います
この曲の特徴としては各楽章にはベートーヴェンが標題をつけています。
1.「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
2.「小川のほとりの情景」
3.「田舎の人々の楽しい集い」
4.「雷雨、嵐」
5.「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」

「田園風景」というと個人的にはやはり水田が広がる風景ですが、ベートーヴェンが書いた標題は具体的などこかの風景ではなくベートーヴェンが考える情景を描いたもの、であるそうです。
ウィーンにはベートーヴェンがよく散歩をした「ベートーヴェン小径」なるところがあり、流れる小川は2楽章のイメージにもあうそうですが、都内近郊だと・・・玉川上水や等々力渓谷をイメージしています。

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」には「第六交響曲」がでてきます。
 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾くかかりでした。けれどもあんまりじょうずでないという評判でした。じょうずでないどころではなくじつはなかまの楽手の中ではいちばんへたでしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
 ひるすぎみんなは楽屋にまるくならんでこんどの町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。
この曲が実は田園だということで、作中のキーワードから推理されています。高畑勲さんが監督をしたアニメーションでは実際にNHK交響楽団の演奏が使われていていました。

「セロ弾きのゴーシュ」を読み返す機会があれば、田園をBGMにしてみるのも面白そうですね。

■参考
金聖響/「ベートーヴェンの交響曲」講談社 2007

W.R.ワーグナー/ジークフリート牧歌

「楽劇王」とも呼ばれるワーグナーの作品の中で、異色の作品とも言えるのがこの「ジークフリート牧歌」ではないでしょうか。

ワーグナーはやはり「トリスタンとイゾルデ」「ローエングリン」など大編成、長時間の作品が有名で、室内楽曲はそれほど多くは作曲されておらず、そして演奏頻度の多い曲となるとこの「ジークフリート牧歌」ぐらいだと思います。
作曲の経緯もよく知られています。

妻であるコジマの誕生日のために作曲され、誕生日の朝、自宅に集まった楽団員が階段に並んで演奏したとか。

タイトルにある「ジークフリート」は前年に生まれた二人の息子のことであるが、楽劇の「ジークフリート」にも牧歌の主題が用いられているそうです。

ワーグナーは最初ベートヴェンの後継者たることを目指したと言われます。
ブラームスの交響曲第1番が「ベートーヴェンの第10番」と評された話がよく知られている一方で、ワーグナーもベートーヴェンを尊敬し交響曲作曲をしました。

ワーグナーは「第9」の構想、歌と管弦楽の融合、メッセージ性に強く共感したようで、10代の頃にいくつかの交響曲を作曲しています(1曲をのぞき未完成)。しかしベートーヴェンの後に書くべき曲は交響曲ではないと悟り楽劇の世界を切り開いて行きます。
ベートーヴェンの後継者としてはブラームスを推す方が多いようですが、個人的には「第9」の世界を継いだのはワーグナーだと思いますので、L.v.B.でも積極的に取り上げて行きたいのですが・・・なかなか室内管弦楽団のレパートリーにはならないのが難しいですね。

J.ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

ブラームスの管弦楽曲では2つの序曲とこの「ハイドン・バリエーション」が演奏機会の多い曲です。完成が1873年ブラームスが40歳の時で、ウィーンに居を移した最初の作品となりました。

この曲の前の作品は作品53「アルト・ラプソディ」、作品54「運命の歌」、作品55「勝利の歌」と合唱曲が続いています。
 
若い時のセレナードやピアノ協奏曲があまり評判よろしくなく、合唱を伴う作品、作品45「ドイツ・レクイエム」や作品50「リナルド」などを経てようやく管弦楽の作品へと至った訳です。
 
そしてこの曲に続く管弦楽曲は3年後の交響曲第1番ですので、充実した内容を持つ作品となっています。
 
ブラームスにとって変奏曲という形式はとても重要なものと言われています。
バロックから用いられていたこの変奏曲の手法を用いていたこともブラームスが「保守的」と評価された一因なのでしょうか。
 
この「ハイバリ」の他にも「ハンガリー主題による14の変奏曲」「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」「シューマンの主題による変奏曲」「パガニーニの主題による変奏曲」などがあります。
 
また弦楽四重奏曲第3番やクラリネット五重奏曲にも変奏曲が含まれていますね。
さて、この曲の「ハイドン」は今では偽作とされる管楽ディベルティメントです。
原曲はオーボエ、ホルン各2、ファゴット3、コントラファゴットの八重奏ですが、木管五重奏の方が有名でしょうか。
 
このコラールが「聖アントニウスのコラール」と呼ばれているため、「聖アントニウスの主題による変奏曲」とする人もいるようですね。
 
この曲は管弦楽版の他にも作曲者自身によるピアノ版があります。
管弦楽版とはまた違った魅力的な曲に仕上がっていますので、こちらもオススメです。
2台のピアノで演奏されていますが、ブラームスとクララとで演奏したかな、などと想いを馳せながら聴いてみるのも一興でしょうか。

J.M.ラヴェル/組曲「クープランの墓」

ラヴェルの作品で人気のある作品・・・を選ぶのはなかなか大変です。

個人的には「ボレロ」と「弦楽四重奏曲」を挙げたいと思いますが、「展覧会の絵」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ダフニスとクロエ」「左手のためのピアノ協奏曲」などなど、アマオケでも数多く選曲されています(そしてどれも難しい・・・)。
 
この「クープランの墓」も人気曲の一つですし、ラヴェルは編成の大きな曲が多いのでLvBのような室内管弦楽団では重要なレパートリーになります。
 
作曲されたのが1914-1917年とされ、そのきっかけが第一次世界大戦(1914-1918年)と言われています。
 
ラヴェルは1907年の歌曲集「博物誌」(師であるフォーレには理解されなかった作品と言われます)、「スペイン狂詩曲」、「ダフニスとクロ エ」で名を挙げてつつありましたが、大戦で親しい友人を亡くしその追憶のために「クープランの墓」を書き上げる中に、さらに最愛の母親も世を去るとこの 「クープランの墓」を最後にほとんど作品を書けなくなってしまいます(母マリーの死は1917年1月、「クープランの墓」の完成が同年11月)。
 
事実、「水の戯れ」などピアノ曲で知られるラヴェルとしては早くも最後のピアノ独奏曲となっています。
 
初演でラヴェルの墓であればなおよし、と皮肉にしてはいまいちなコメントを残したメディアもあったようですが、実際ラヴェルはこの作品のあと創作意欲が極端に衰え、さらに言語障害・記憶障害を発症、交通事故で悪化させると全く作曲できなくなってしまいます。
もとはピアノ曲の「クープランの墓」は管弦楽編曲をされた際に、オーボエの難曲として(少なくともアマチュアオーケストラ奏者の間では)その名を轟かせています。
 
ピアノの原曲を聴くと実に軽やかに演奏をしているのですが、これをラヴェルの時計仕掛けのような編曲で演奏するのはかなり大変で、オーボエ奏者が泣きながらさらうのを陰ながら応援する曲となります。
 
「展覧会の絵」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」もそうですが、ピアノ演奏も管弦楽版に劣らぬ魅力がありますので、ぜひそちらも聴いていただければと思います。

J.ブラームス/セレナード第2番 イ長調 作品16

ブラームスの作品では4つの交響曲、大学祝典序曲、悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲が人気で、若い頃に作曲された2つのセレナードは今ひとつ演奏機会が少ないようです。

とある演奏会情報サイトの演奏家別の曲目を見ていると、セレナーデ第1番が12回、第2番が4回、序曲やハイバリは・・・途中で数えるのをやめたぐらいと大きな差があります。
この差はどこから来るのか不思議なのです。
確かに若い頃の作品だけあって交響曲のような重厚な作品ではなく、【ブラームスらしさ」は感じながらも”若さ”を感じる作品です。
そもそもセレナードの曲の説明自体が、
恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のことを指して使う(Wikipediaより)
とあるように人生観を表現したり、「闘争と勝利」のような重いジャンルではなかったりしますから「髭もじゃのブラームス」のイメージとはちょっと想像できないのです(でも別にロマンスと無縁の人という訳でもないですし・・・)。

では曲自体が未熟とか駄作か・・・なのですが、そんなことはありません。
そこはやはりブラームスなので若い頃とは言えしっかりとした作品を残しています。
特に第2番のAdagioは恋に悩むブラームスの姿を思い浮かべると、演奏のイメージが湧いてくる曲だと思いますし、終楽章はなんとも楽しげなロンドです(演奏の度にもう終わってしまうのか〜と)。

考えれば考えるほど人気のない理由の分からない曲ですが、こうした「隠れた名曲」を積極的に取り上げていくことでその魅力を広めていきたいなあ、と密かに思っていたりもします。

さてこの第2番、特徴はやはりバイオリンを欠く弦楽合奏であることです。
自然高音部はフルートに頼ることになるので、曲全体が落ち着いた雰囲気(あるいは地味)な印象が残ります。

交響曲などではバイオリンは結構高い音を演奏することが多いので、随分と
さて、実際に演奏する際に悩むのが楽器の配置です。

通常であれば後方に管楽器、手前に弦楽器が並びますが、一番人数の多いバイオリンがいないため配置は演奏する時に頭を悩ませることになります。

L.v.B.ではバイオリンの位置にビオラ、対向する位置にチェロとしました。
となるとビオラの首席奏者が「コンサートマスター」になります。

しかし・・・意外とビオラがアンサンブルをリードするところがなく、この配置がベストではなかったかもしれません。

ちなみに後述の動画ではフルートをコンサートマスターの位置に置き、通常のバイオリンの位置に木管楽器を並べた配置にしています。

これならば木管セクションがアンサンブルをリードすることになるので、演奏しやすいはずですが、指揮者は慣れずに苦労しそうな配置なのと、終楽章でピッコロが入ると客席に向けて音がでることになるので、今度はフルート奏者が気を使う配置なのだそうです。
なかなかうまくいかないものです・・・
 
※YouTubeのサイトに移動してご利用ください
Johannes Brahms Serenata in La maggiore, op.16

ディーリアス/2つの水彩画

L.v.B.では最近フランス音楽を取り上げることが多いようです。
このディーリアスもフランス音楽かと思われるかもしれませんが、イギリスの音楽家です。もっともドイツ系のディーリアスはアメリカで商売をして、ドイツで音楽を学んで、フランスに居を構えていました。

代表作は何度か演奏している「小管弦楽のための2つの小品」(前回の演奏会のアンコールでもありました)やチェロ協奏曲などでしょうか。
楽譜がなかなか入手できなかったり、ドビュッシーやラヴェルのような華やかさもベートーヴェンの力強さもなく、それほど知名度はないかもしれません。

しかし、ワグネリアンならぬディーリアンなどと呼ばれる愛好家がいるようで、何度か耳にしているといつしか口ずさんでしまうような親しみのある音楽だと思います。
どこか懐かしい田舎の風景が思い起こされ、人生の幸せをかみしめる曲が多く、好きな作曲家です。

この「2つの水彩画」は特定の絵画をモティーフにしているわけではありませんので、音楽に身を浸しながら思い思いの絵を描いていただければよいな、と思う作品です。
といっても2曲合わせて5分もない作品ですので頭の中で下書きをする頃には終わってしまう、なんとも罪深い曲ではないでしょうか。

さて、第26回演奏会ではドビュッシーやフォーレ(の原作のメーテルリンク)とともに記念年として取り上げています。

ドビュッシーやフォーレは意外と女性関係は自慢できるようなものではなく、ドビュッシーに至っては友人の妻を寝取って駆け落ちまでしています。

フォーレも禁欲的な音楽を書きながら愛人を囲っていたとか。

一方ディーリアスは41歳と晩婚でしたが、50歳を手前に失明・全身麻痺に侵されながらも妻・ジェルカや弟子のフェンビー、指揮者のビーチャム(ロ ンドン・フィルやロイヤル・フィルの創設者であり、ラジオから流れるビーチャムの指揮にはディーリアスはいつも満足したとか)に支えられ作曲活動を続けた のでした。

ジェルカは最後までディーリアスに付き添い、ディーリアスが死去した1年後に後を追うように息を引き取ったとのことです。

若いころには音楽の道に進むこともできず、病にも苦しんだディーリアスですが、残された音楽からは幸せな人生であったと伝わってくるようです。
そんな音楽が演奏できたらな、と願っています。

フォーレ/ペレアスとメリザンド

フォーレの「ペレアスとメリザンド」は、モーリス・メーテルリンクの戯曲(舞台劇の原作)のための音楽として作曲されています。

フォーレの他にシベリウス・ドビュッシー・シェーンベルクの作品もありますが、やはりフォーレのこの曲が一番演奏される機会が多いかと思います。

今回演奏する組曲版は全曲の19曲から5曲を抜粋して構成されていますが、普段は歌曲を除いた4曲で演奏される方が多いでしょうか。

フォーレもメーテルリンクもパリを中心に活動していましたが、この「ペレアスとメリザンド」に含まれる歌は英語の歌詞になります。

ロンドン滞在中のフォーレが依頼されて作曲されたためで、初演もロンドンでフォーレ自身の指揮によって行われています(もっとも最初はドビュッシーに依頼したのだが断られたためにフォーレに声がかかった・・・ということです)。

例によってドビュッシーの毒舌はこの作品にも向けられ、「糸を紡ぐ女」(組曲の2曲目)を娼婦のようだと評価したなどとの話もありますが、有名な「シシリエンヌ」をはじめフォーレらしい美しい音楽が揃っています。

劇のストーリーを要約してしまうと「妃と浮気した弟を兄が殺してしまう」話で、原作は半日もあれば読み終わるボリュームです。

読み進めると「水」や「泉」の話がところどころにでてきて、実はメリザンドは人間ではなく水の精だったのかな・・・と思ったり、「盲目の老王」・「盲目の 泉」・「王の3人の盲目の娘たち」は一体何を意味しているのだろう、とストーリーだけではないもやもやとした感想が残る作品ではありました。

ドビュッシーの同名作品はオペラになりますが、こちらもドビュッシーらしい美しい音楽で、こちらもいつかは演奏してみたいな・・・と思う曲の一つです。

■参考
ペレアスとメリザンド ストーリー紹介 http://kcpo.jp/info/35th/Pelleas.S.html

読書感想文:「エリック・サティ」(兼、「組み立てられた3つの小品」の紹介)

プログラムに取り上げておきながら・・・メンバーからも「ある意味難解」と評されるサティです。確かになかなか出会うことのない価値観?があります。資料もなく曲紹介に非常に困るのですが、図書館で1冊の本を借りてみました。

ジャン・コクトー「エリック・サティ」(深夜叢書)

100ページもない本ですが、大変興味深い内容でした。

著者はサティの信奉者とも言える支持者のため、偏りはあるかもしれません。
ただ、非常に納得するものがありました。
我々はサティの「簡潔さ」の教訓が必要であった。三十本の幅は車輪を形造る。しかし車輪をして車輪の用をなさしめるものは 中軸の中の空洞な部分である。(中略)かように「存在するもの」は一つの利益ではあるけれど、効用は常に「存在しないもの」によって作られる。ドビュッ シィの音楽は完成した形を我々に示す。それは在るところの音楽である。これに反して、サティの音楽は、全て存在しないところのものによって、我々に有効な 音楽である。サティの音楽は表皮を持たない。人々は、その中味に彼の思想を見出す。
ちょっとほめすぎな気はしますね。


今回取り上げる「3つの小品」は、各曲には副題が付けられています。
組み立てられた3つの小品
1.パンタグリュエルの幼年時代(夢) "De l'enfance de Pantagruel(Reverie)"
2.桃源郷の行進曲(歩き方) "Marche de cocagne(Demarche)"
3.ガルガンチュワの遊び(ポルカ調) "Jeux de Gargantua(Coin de Polka)"
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」という小説があるので、その登場人物のようですが、この本はなかなかの長編です。

これを3分ほどの作品に含めるのには無理があり、(サティの簡潔さと対比される)ワーグナーであれば序曲だけで15分、演奏に1日を費やす作品に仕立て上げるかもしれません。

では、なぜサティは僅か3分で3曲したのか?

それが「存在しないもの」を作曲したということなのでしょうが・・・作品を理解した上で、必要なエッセンスのみを表現したのではないかと思っています。

先ほどの車輪の例えであれば車輪を表現するのに形を一言一句説明するのではなく、記号や色、擬音で伝えようとしているのです。当然人によっては馬車・荷車・自転車など様々な理解をするでしょうし、そもそも車輪を知らない人にとっては理解ができないものでしょう。

でもそれはまったく気にせずに、サティが考える車輪は「こういうもの」というあまりにも簡潔な説明?をしているだけ。分かる人は分かるし、分からない人には無理に説明をしない。なかなか人を小馬鹿にしている皮肉屋です。

ということは演奏するにも、曲を聴くにもかなりの想像力を働かせないといけないので、なかなかハードルが高い曲なのです。オペラのような明確な物語 も、ドビュッシーのような構造、ベートヴェンの主題展開もなく、頼れるのは自分の経験と感性と想像力。なるほど、これはメンバーから「難しい」と言われる のも無理はありません。

でも、譜面に書かれたことの裏とか奥とか行間を読めるようになると、今まで演奏してきた曲であっても別の理解ができるようになるはずなので、この3分間に頭を悩ませてみたいと思います。

さて、サティの作品で「問題作」に2つあるようです(たった2つなのか・・・なのですが)

一つは「家具の音楽」。僅か数小節の楽譜を無限に(=気が済むまで)繰り返すというこの曲。サロンでのBGMとして作曲されたようですが、
同じ旋律が何度も繰り返される→耳が曲を覚えてしまう→(周囲の環境に溶け込む)→まるでそこにある家具のように違和感ないものとして認識される
という実験音楽です。以前テレビで「史上最も長い曲」としてサティのピアノ曲「ヴェクサシオン」が取り上げられていましたが、同じ系統の音楽です。

つまり、演奏会などで「聴く」という行為ではなく、そこに「在る」だけの音楽で、長年酒場のピアニストとして活躍(?)したサティらしい1曲です。

こちらはロビーコンサートで演奏予定ですが、くれぐれも立ち止まって聴き入ってはいけない曲ということですのでご注意ください。


もう1曲は最後の作品と言われるバレエ「本日休演」と幕間に流された映画「幕間」の音楽です(当時のフランスでは幕間に映画を流していたようです)。ふざけたタイトルのバレエですが、初演は本当に休演になったようです。

これがまた問題作で・・・バレエは鏡を並べた舞台で踊り手がアドリブで踊るというもの。映画は大砲とか棺桶とかが脈絡なく映し出されます。真面目に観ると頭が痛くなってきます。夢に出てきてうなされそうです・・・。あ、サティ自身も出演しています。

でも音楽は素晴らしいです。たぶんバレエも映画も、何の意味もないです。評論家や実際に観た人が「あの意図は・・・」「あの演出は・・・」と語るか もしれませんが、それはきっとサティの罠です。意味のないものに意味を見出す行為自体をきっと皮肉っています。何も考えずに観て、その時間をそのまま受け 入れるのが正解かな、と思っています。

美しい花を前にして「美しい」と感じる、おいしいものを食べたら「おいしい」と感じる、そんなピュアな感受性の大切さを思いかえさせてくれる・・・とは言い過ぎですね、きっと。

でも、それがコクトーが評した簡潔さであり、サティの思想なのではないかと思います。

注:映像も問題作ですので、あまりまじめに観ないことを推奨します・・・
バレエ「本日休演」 第1幕

映画「幕間」 ※大砲のシーンの左側の男性がサティです

バレエ「本日休演」 第2幕

さて、この内容だけでは変人扱いされてしまいそうです。 サティで有名な曲の一つはやはりこれでしょう。
「ジュ・トゥ・ヴ」


こちらはがらりと変わってポピュラーな人気曲ですね。

L.v.ベートーヴェン/交響曲第8番 ヘ長調 作品93

交響曲第8番は9曲の中ではやや演奏頻度の低い部類に入る曲かもしれませんが、個人的にはとても好きな作品です。兄弟作とも言える第7番と比較されてしまいますが、第7番のような力強さや「不滅のアレグレット」のような陰りはもたない、全楽章を通し明るい曲となっています。

第8番は作曲開始が第7番の後、1811年、完成が1812年となります。
この前後にどのような歴史イベントがあったかまとめてみました。

1809年
 オーストリア戦役(ナポレオン絶頂期)
 ハイドン死去
1810年
 ヴァイオリンソナタ第10番
 弦楽四重奏第11番<<セリオーソ>>
 『エグモント』
 シューマン生まれる
1811年
 ピアノ三重奏第7番<<大公>>
1812年
 交響曲第7番・第8番
 「不滅の恋人」の手紙
 ロシア戦役
1813年
 『ウェリントンの勝利』
 ヴァーグナー、ヴェルディ生まれる
1814年
 ナポレオン退位(エルバ島へ)
 ウィーン会議
1815年
 弟カール死去
 ワーテルローの戦い
 「第9」の作曲始まる(完成は1824年)。

ナポレオン時代の終焉を迎え、「不滅の恋人」、弟カールの死、そしてスランプとベートーヴェンには様々な変化が訪れた時代です。前期・中期・後期などの分類では中期の最後、そして後期の始まりとなります。

メッテルニヒの主導するウィーン体制(「会議は踊る」で知られる)とはナポレオン時代に広まった思想を否定しそれ以前に戻そうとする政治体制であり、ベートーヴェンが自由主義思想に共感を感じていたことから危険分子とされ逮捕されたとの逸話もあります(酔っ払っていたところを逮捕されたとも・・・)。

この政治的思想の取り締まり、経済的混乱、カールの死去とが重なり第8番のあとのベートーヴェンは創作どころではないスランプへ陥り、バッハの音楽の研究と後期後半の作品群へと繋がることになります。

このような時代の直前の第8番が明るくユーモアに満ち溢れているというのは皮肉なことかもしれません。

さて、先に述べたように第7番の交響曲と比べるとやや人気の劣るところはあるかもしれませんが、形式としては古典的と見せかけてむしろより革新的な作品です。

まず構成として緩徐楽章を持たず、代わりに3楽章に置かれるスケルツォが第2楽章に、第3楽章にはベートーヴェンの交響曲の唯一のメヌエット楽章を持ちます。

スケルツォ楽章は「メトロノームのテーマ」ということで、発明家のメルツェルに送られたカノンと関連があります。と言いながら、どちらが元なのか?というのはよく分からないみたいです(シンドラーによる偽作、とも言われます)。

WoO162 カノン「愛するメルツェルさようなら」(「タ・タ・タ・カノン」)

他にもfffやpppの利用、いきなりフォルテの主題で始まる1楽章、4楽章での動機の繰り返しと、演奏する側も聴く側も飽きることのない充実した30分間ではないでしょうか。

G.U.フォーレ/組曲《マスクとベルガマスク》 作品112

アマチュアオーケストラの選曲としては、フォーレはマイナーな部類に入るかと思われますし、実際『レクイエム』『ペレアスとメリザンド』、そしてこの『マスクとベルガマスク』が主に取り上げられる曲でしょうか。

L.v.B.では『ペレアスとメリザンド』、『パヴァーヌ』に続く3曲目・・・だったかと思いますが、『パヴァーヌ』は本来『マスクとベルガマスク』の一曲であったりもします。

===================

元が教会のオルガン奏者であったフォーレの曲はどこか宗教的な純粋さと、一方で甘く時として官能的とも言えるようなメロディーという矛盾するような魅力があるような気がします。

フォーレが活躍したのは19世紀中旬から20世紀初頭となります。例によって何人かの作曲家と比較してみます。
  • ベートーヴェン(1770-1827)
  • ワーグナー(1813-1883)
  • ブルックナー(1824-1896)
  • ブラームス(1833-1897)
  • サン=サーンス(1835-1921)
  • チャイコフスキー(1840-1893)
  • ドヴォジャーク(1841-1904)
  • フォーレ(1845-1924)
  • マーラー(1860-1911)
  • ドビュッシー(1862-1918)
  • リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
  • ラヴェル(1875-1937)
いわゆるドイツロマン派とフランス印象派の間に位置しているようです。

フォーレの書籍などを読んでみると、フォーレ自身もワーグナーに続く革新者であり、彼がいなければラヴェルやドビュッシーの音楽は生まれなかった・・・ぐらいのことは想像してしまいます。

実際ラヴェルはフォーレの教え子のようですし、ドビュッシーは時にフォーレの音楽を痛烈に批判しながらもそれなりに私的な交流はあったようで、フランス音楽界への影響は非常に大きかったことでしょう。

さて、そんなフォーレが作曲したこの『マスクとベルガマスク』はヴェルレーヌの詩を題材とした舞台音楽で、有名な『月の光』もその1曲となります。 組曲の中身はWikipediaを見ていただいた方が詳しいので割愛してしまいますが、全曲版もまた美しい曲が揃っておりますので、いつかは取り上げてみ たい曲の一つです。

組曲はガボットやメヌエットなど、古典形式の曲が含まれています。
ジーグ、パッサカリア、ブーレ・・・などどこかで聞いたことのある曲名はあるかもしれませんが、バロック時代の舞曲が用いられています。ガボットもメヌエットもフランスの踊りで、ドイツの踊りであるワルツがでてくるのはまだまだ先のことです。

フォーレはフランス印象派には含まれないのですが、前述の通り時代の転換期に重要な役割を果たした作曲家です。

その割にあまり取り上げられないのが不思議なのですが、ラヴェルやドビュッシーほど尖っておらず、サン=サーンスほど形に拘らなかったあたりが原因なのでしょうか?

この『マスクとベルガマスク』にしても、300年ばかり昔の形式で書かれた美しい曲、としてしまえばそれで終わりなのかもしれませんが、時代が前に進もうとしている時にあえてその古典的な形式を取ったことは一つのチャレンジであったと思います。

(再利用されたりして継ぎはぎの音楽だということはさておき)フォーレがどのような意図でこの曲を作曲したのか、19世紀末から見た17世紀の祖国とはどのようなものだったのか、そんなことに想いを馳せてみたいと思います。


■参考
Wikipedia:
ガブリエル・フォーレ
マスクとベルガマスク
その他、作曲家の誕生年を参考

W.A.モーツァルト/交響曲第41番《ジュピター》 ハ長調 K.551

《ジュピター》の通称で知られる曲は、天才モーツァルトの最後の交響曲として知られる。
特に、終楽章の「ジュピター音型」によるフーガ(正しくはフガート)は僅か10分の楽曲に彼の、そして人の一生が込められているのではないかと思ってしまうだ。

このジュピター音型は8~9歳の頃に作曲した、交響曲第1番の第2楽章でも用いられており、時にアンコールピースで取り上げられることがある。
最初と最後の交響曲で用いられているのも、何やら意味深いものがあるが、あまり言及されないものの第33番でも使われていたりする。


このジュピター音型はド-レ-ファ-ミ、つまり音名ではハ-ニ-ヘ-ホとなる。
のちにブラームスの4つの交響曲は、第1番ハ短調、第2番ニ長調、第3番ヘ長調、第4番ホ短調で作曲されているのだが、偶然なのか狙ったものなのかはどちらなのだろうか。


終楽章に至るまでの楽章も非常に素晴らしく、各楽章とも堂々としていながらどこか優しく、笑っているのか、泣いているのか、モーツァルトの晩年に得た境地が描かれている名曲中の名曲で、R.シュトラウスは「天国にいるようだ」と評した。

作曲されたのはモーツァルトの死の3年前、33歳と言うことになる。
1780年代のヨーロッパの政治と、モーツァルトにかかわる年表を少しあげてみるとこんな時代だ。
  • 交響曲第34番完成(1780年)
  • ザルツブルクからウィーンへ(1781年)
  • コンスタンツェと結婚(1782年)
  • パガニーニ生まれる(1782年)
  • 「フィガロの結婚」初演(1786年)
  • アメリカ独立戦争終結(1783年パリ条約)
  • ウェーバー生まれる(1786年)
  • ベートヴェンがモーツァルトのもとへ訪れる(1787年)
  • 「ドン・ジョヴァンニ」初演(1787年)
  • 父、L・モーツァルト死去(1787年)
  • 《ジュピター》完成(1788年)
  • フランス革命勃発(1789年)
  • モーツァルト死去(1791年)
日本では第10代家治~11代家斉、老中田沼意次、天明の大飢饉、松平定信というあたり。

ベートーヴェンはまだ楽聖への道を歩みだしたばかり、ロッシーニ(1792-1868)、シューベルト(1797-1828)、ヨハン・シュトラウ ス1世(1804-1849)、ベルリオーズ(1803-1869)など名だたる作曲家たちはまだ生まれもしていないが、フランス革命というヨーロッパの歴史イベント としても激動の時代へと突入していくことを予感させる。
個人的に、《ジュピター》の終楽章を耳にするたびにモーツァルトの死を境としてに時代が変わったのではないかと思ってしまうのだが、こうして年表を並べて見ると決して大げさではないだろう。

魔笛、クラリネット協奏曲、レクイエムをはじめとする50を超える曲が続くにも関わらず、フガートの終結は一つの時代が終わってしまったことを感じさせる。
そしてモーツァルトに次ぐ大作曲家として10年の歳月を経て、1800年にベートーヴェンが交響曲第1番を完成させる。
一体この10年の間に何が起きたのか、第1番の最初の和音が鳴り響くと共に、恐竜絶滅後の地球で哺乳類が爆発的な進化を始めたように、音楽の新しい時代がはじまる。

ところで、モーツァルトと共に古典音楽を支えたヨーゼフ・ハイドンは1809年まで存命であった。
モーツァルトの死後も交響曲を20曲ほど書き続け(ロンドン交響曲は1795年)、「ドイツの歌」の原曲を1797年に作曲し、ナポレオンのウィーン侵攻の最中に亡くなった偉大なるハイドンはどのような思いで時代の移り変わりを見ていたのだろうか。

この曲の演奏会
第40回演奏会

プッチーニ/菊

プッチーニ作曲の『菊』は、彼の作品ではほぼ唯一の弦楽四重奏曲で、今回のように弦楽合奏で演奏されることの多い小品です。『菊の花』と呼ばれることもあります。

あまりなじみのない曲かもしれませんが、イタリアでは追悼曲としてしばし演奏される曲、と言われています。
曲の成立についてはあまり資料がないため、手持ちのCDの曲紹介をベースに調べております。

作曲されたのは1890年、プッチーニのパトロンでもあったサヴォア家のアマデオ公爵の死を追悼するために一晩で書き上げたとされています。
このアマデオ公爵については先のCDの資料には言及はないのですが、スペイン王アマデオ1世ですので、今回の演奏会ではスペインの名曲アランフェス協奏曲に若干関係を持たせております。

7分ほどのこの作品は、物憂げなメロディーで満たされています。

■ヨーロッパでの『菊』
日本では菊の花と言うと、天皇家の御紋であり、春の桜に対して秋の菊として鑑賞されています。
もともと原産は中国で、ヨーロッパにも中国から持ち込まれたようです。
ヨーロッパで広まったのは、幕末の日本から鑑賞菊が持ち込まれたことがきっかけ・・・と言われることもあります。
一方で、弔花としての慣習はその後ヨーロッパから伝わったようですね。
一部の国のようですが、墓参りの際には菊の花をもちいるようです。

Yahoo知恵袋で面白い記事がありました
デンマーク→普通に鑑賞用
フランス・イタリア→墓参り
オーストリア→母の日のプレゼント
イギリス→結婚式
※各国いろいろな文化があると思いますので要注意

また、葬式の時、とくにキリスト教ではユリが多いようですね。
聖書で繁栄の象徴とか。

■オペラ「マノン・レスコー」
『菊』のメロディーは、オペラ「マノン・レスコー」に転用されています。
第4幕、アメリカでのシーン「君の重みを全部僕にかけ給え」です。
娼婦として植民地ルイジアナへと流刑されたマノンと、それを助けるべく追いかけてきた騎士デ・グリューとが荒野で歌う二重唱でした。





この後マノンは力尽きてしまうんですよね・・・。

■曲の背景
曲の背景のために、当時のスペインの情勢をまとめてみました。

なぜイタリアのサヴォア家からスペインの国王が・・・という話になりますが。
現在のスペイン国王ファン・カルロス1世は1700年から続くスペイン・ブルボン朝、つまりもともとはフランスからの家系(といいながらもスペインの血も流れていたり、本家は断絶したりと複雑ですが)です。世界史で「スペイン継承戦争」というものを習っておりますが、まさにそこのお話ですね。

そして19世紀までに、フランス革命やナポレオン戦争の影響を受けながらスペインは混乱した時代を送ることになります。

1833年のイサベル2世の即位により始まるカルリスタ戦争(つまり王位継承をめぐる内戦)は1839年には終戦となります。しかしその後も国内は混乱し、1868年には陸軍のプリム将軍を中心としたクーデターにより、イサベル2世がフランスに亡命することになります(9月革命とかスペイン名誉革命とか)。

ここでスペイン国王として呼ばれた、というよりも支援者のナポレオン3世の意向によりアマデオ1世が即位します。

なんでここでナポレオン3世なのか?
アマデオ1世(サヴォイア公)の父親はイタリア統一王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。
またややこしい話になりますが、神聖ローマ帝国領であったイタリアは、ナポレオン戦争によりナポレオンの支配下となります(1805年)。
ナポレオン(イタリア読みだとナポレオーネ・ボナパルテ)は1814年に退位し、イタリアは小王国へと分裂し、ナポリ・シチリア・パルマなど、ブルボン王家による王国も多かったようです。

1815年から始まるイタリア統一運動はガリバルディらの活躍により1871年には終結します。
その背後にはナポレオン3世の支援がありましたので、ようやくアマデオ1世の即位につながるわけですね。

とはいえ、後ろ盾であったプリム将軍も暗殺され、支援者もいないアマデオ1世は結局在位は1870-1873年と非常に短いものとなりました。

アマデオ1世の退位後にスペインは共和制(第一共和制)となりますが、クーデターにより再びブルボン王家に戻り、アルフォンソ12世(現国王ファン・カルロス1世の曽祖父)が即位します。

■余談
・イタリア統一運動へのオーストリアからの干渉(オーストリアから見れば独立鎮圧)として、かの「ラデツキー行進曲」が生まれています。

・アマデオ公は1888年にマリー・レティシア・ボナパルトと再婚しています。マリーはナポレオンの弟ジェローム・ボナパルトの孫娘(つまりマリーの父親はナポレオン3世の従兄弟)であり、アマデオ公の姪になります。

・現在のボナパルト家の当主「ナポレオン7世」はジェロームの曾孫となっています。

■参考
Wikipedeia:アマデオ1世
その他いろいろ
 スペイン・ブルボン王家の系図
 Yahoo知恵袋:各国の菊の花
 Yahoo知恵袋:百合の花

F.F.ショパン/ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21

ショパンと言えば「ピアノの詩人」。
映画「戦場のピアニスト」で有名になった・・・というまでもなく、有名な作曲家です。
その知名度と人気にも関わらず、オーケストラプレイヤーにはあまり縁のない作曲家の一人だったりします。その理由は簡単、オーケストラ曲がないのです。

ピアノと管弦楽のための作品が何点かあるほかはバレエの曲が1曲知られているぐらいでしょうか。

割とマイナーな曲目も演奏しているLvBですが、もし生誕200周年、という節目でなかったとしたら、なかなか取り上げることはなかったかもしれません。

というわけで、団員のほとんどが初となるショパンを取り上げることとなりました。

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オケの演奏会の選曲としてはほぼ2択となります。

どちらも名曲であり、実にショパンらしい魅力にあふれたコンチェルトです。
本当は2曲演奏したかった、とは言いませんが、選曲に悩んだプログラムでありました。
曲は、暗いバイオリンのメロディーから始まる1楽章、実にピアノが美しい、ただただ美しい2楽章、そしてマズルカの3楽章と、カデンツァはないものの実にシンプルな構成となっています。

オーケストラでなかなか選曲されない理由は、「オーケストレーションが未熟」とはよく言われます。つまり、オケにとっては「おいしくない」曲なのですね。
実際バイオリンの楽譜を見てもじつに音が少ないです。

しかーし、そこに落とし穴が。

オケがシンプルということはピアノはとても充実しているわけです。
ピアノのメロディーに答えるように音をひとつならすだけでも集中力が必要とされ、とても緊張する演奏会でありました。

でもでも、ピアノの裏でのちょっとした音、とても旋律とは呼べないような譜面でも、ピアノと一緒に演奏してみると非常に楽しい曲でした。
なんというか、くるくるとまわるピアニストと踊りを踊っているような、不思議な感覚です。

いやぁ、ショパンはひたすら天才でした。

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さて、最後に小ネタを3つ。

「戦場のピアニスト」のオープニングで使われた、「夜想曲第20番」はこの協奏曲第2番の練習曲なのだそうです。改めて聞きなおすと、やっぱりいい曲ですね・・・。


2つめ。
ショパンとメンデルスゾーンはほぼ同じ年を生きています。
ショパンは1810年3月1日~1849年10月17日、メンデルスゾーンは1809年2月3日~1847年11月4日。どちらも薄命の天才なのでした。
二人は生きている時に出会ったことはあるのですかね?

そして最後に。
この曲紹介は演奏会の翌日に書いていますが・・・本日はショパンの命日なのでした。
ショパン生誕200周年の命日、の前日に演奏会とはちょっと感慨深いものがありました。

2014/10/12

F.メンデルスゾーン-B/交響曲第4番《イタリア》 イ長調 作品90

LVBはモーツァルト、ベートヴェンなど古典の曲が多いのですが、ドイツ・ロマン派からはメンデルスゾーンが比較的多く取り上げられています。

「フィンガルの洞窟」、ヴァイオリン協奏曲、それから交響曲からは《宗教改革》、《スコットランド》に続く5曲目でしょうか。

ユダヤの御曹司、ということで金銭的な苦労のない貴重な(?)作曲家で、肖像画を観ても線の細いイメージかと思います。

楽曲の方は意外と「濃い」曲が多く、ピアノのように音符が多い曲になる傾向が・・・とは弦楽器奏者の見方でしょうか。

特に交響曲ではバイオリンからコントラバスまでがユニゾンで速いパッセージを刻んでいる時も多く、演出は劇的、と言えるでしょう。

このイタリアでも、バイオリンパートは言うまでもなく、低弦パートまでが細かいパッセージで会話をすることで、曲 が構成されています。これはモーツァルトやベートヴェンではあまりないかもしれません(バッハのフーガがオーケストラに編曲されると演奏することがあるか も?)。

本作のイタリアはメンデルスゾーンがイタリア旅行中に楽想を得たこと、4楽章に
「サルタレロ」と呼ばれる舞曲のリズムが使われていることが言われていますが、音楽的にはあまりイタリア・・・というものではないのがちょっと不思議なところです。
今回はショパンのピアノ協奏曲との組み合わせなので、あちらはポーランドの「マズルカ」、対してイタリアではサルタレロと、踊りの多いプログラムとなりそうです。

参考
Wikipedia:交響曲第4番 (メンデルスゾーン)

J.ブラームス/交響曲第1番ハ短調作品68

日本人に人気のある曲ランキングでも常に上位にあるこの曲。

「ブラームスらしい堅苦しさ」を持つ1楽章から始まり、各楽章共に演奏する側、聴く側どちらも満足できる作品であることは誰もが認めるところでしょうか。

4曲の交響曲では3番や4番の方が人気なのかもしれません

2番はちょっとマニア向け・・・?

いやいや、あくまで4曲を比較するからであって、どれも珠玉の逸品であることは変わりません。

指揮者の広井氏とは大学1年の冬の定期演奏会でこのブラームスの1番を演奏しました

その時は「音がだせれば満足」な程度でしたからあまり深く考えていませんでしたが、その後経験を積んでみると、特に1楽章に対して「なんとロマンチックなのだろう」と感じるようになりました。

人によってはこの1楽章は堅苦しいし、深刻だし・・・で敬遠されがちなのかもしれませんが、堅さと柔らかさの共存というか、普段いかつい顔をした頑固おやじがふとした優しさをのぞかせるような、チャーミングな曲ではないかと思っています。

個人的には広井氏とは3度目の演奏。

またゲストコンサートマスターに印田さんを迎えての演奏なので非常に楽しみにしております。
あ、ソロの代奏は楽しかったです・・・

R.A.シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 作品54

この曲が一部の(?)愛好家に有名なのは、「ウルトラセブン」の最終話に使われたエピソードでしょうか。

クラシックの曲がアニメや映画に使われることは珍しくはありません。
バーバーの「弦楽のためのアダージョ」なんてのはよく使われますし、映画「地獄の黙示録」ではワーグナーが使われていました。

BGMをクラシックで統一したアニメなんてのもありましたね。

このシューマンのピアノ協奏曲は、「シャイン」(1996)、「僕のピアノコンチェルト」(2006)、「4分間のピアニスト」(2006)、邦画では「わが愛の譜 滝廉太郎物語」(1993)あたりで使われています。シューマンらしい劇的な音楽は映画を気持ちよく盛り上げてくれます。

「ウルトラセブン」では、最終話でダン・モロボシ(ウルトラセブンが扮した地球人)が自らの正体を告白したシーンに始まり、怪獣との戦いと、ウルトラセブンが役割を終えウルトラの星へと還っていくまでのシーンを通じて、第1楽章が作品のほとんどのBGMとなっています。

なんでそんなに話題になるのかとためしに見てみましたが、確かに見事にマッチしている作品ではないかと思ったりしました。

L.v.B.ではあまりロマン派の作品を取り上げてこなかったせいなのか、シューマンの劇的な展開がとても新鮮です。

モーツァルトやベートーヴェンのような形式的な美しさを持つわけではなく、情緒に訴えかける音楽性に、アマチュアにもシューマン好きは結構います。

ただ、よく言われるようにオーケストレーションについてはやや難があり、オーケストラ曲だけではなく室内楽を演奏してみても、「なぜこの調なのだろうか」「なぜこの音なのだろうか」とはしばし悩まされます。

ピアノをメインとしている作曲家だからなのでしょうか?

そして管弦楽技法に加えてこの曲のチャームポイント(?)に、「ヘミオラ」の技法が使われていることが挙げられます。

ヘミオラとは、「3拍子の曲で、2小節をまとめてそれを3つの拍に分け、大きな3拍子のようにすること」(Wikipedia)だそうです。・・・よくわかりませんね

3楽章は基本的に3拍子です。

当然1・2・3の3拍で1小節をカウントします。

しかし、ここに拍子の異なる音楽が書かれているのです。

ちょっとわかりにくいですが・・・聞いている人にはこう聞こえます。
「タン・タン・タッタ タン・タン・タッタ」 
ところが譜面には、
「タン・タン ・タッタ タン・タン ・タッタ」
と書かれています。
なんのこっちゃ・・・と思われるかもしれませんが、目から入ってくる情報と、耳から入ってくる情報とが異なるので、演奏者はとても混乱します。
たとえば、三拍子は三角形を形作って指揮をします。二拍子は往復です。
理屈の上では、これは同じだけのカウントをします
 三拍子を二回→1・2・3・1・2・3
 二拍子を三回→1・2・1・2・1・2
指揮者のように腕を振ってみると、簡単にできます。

でも、右手で三拍子、左手で二拍子を同時にやるのは結構難しいです。
シューマンは、別に演奏家にそんな曲芸を求めていたわけではなく、拍子の異なる音楽をわざわざ書くことによる、不安定さ・不自然さを書いていたわけです。
演奏する側にとっては、生理現象に逆らうので、遊園地にあるマジックハウスみたいな感覚です。

きっと多くの演奏家が泣かされてきた曲ではないでしょうか・・・。

A.オネゲル/「夏の牧歌」

苦手な曲、と書いてしまうと誤解があるのかもしれませんが、「夏の牧歌」のような曲は我々アマチュアはどうも苦手です。

もちろん嫌いではないのですが(だったら選曲しませんし・・・)、なんというか、独特のセンスが必要にされる曲なのです。

たとえば、交響曲は基本的に皆で同じ方向を向いているので、集団としてのキャラクターを作るのがなんとなくできています。構成にも土台がしっかりしていて、メロディーや対旋律や刻み・和音が・・・とわかりやすのです。

しかし、この「夏の牧歌」や、以前取り上げたディーリアスは、ふわふわとした「世界観」があるだけなのです。

楽譜上はそれほど難しいわけでもないし、特殊楽器があるわけでもないのに、「楽譜通り演奏してもさっぱりわからない」という感想が残ります。

おそらく、ドイツ系の曲、たとえばベートーヴェンやメンデルスゾーン、シューマンといった曲は慣れていることもあり「形」が見えてくるのですが、フ ランス系の、特にこういった曲は出来上がりのイメージというか、絵画や映画のような映像的なイメージの共有がアマチュアは苦手なのでしょう。

技術ではなく、気持の問題でしょうが、「イメージの共有」というのも技術の一つなのでしょうか。

CDを聞きなおすたびに、いい曲だなぁと思うのですが・・・練習して上達するものでもなく、しかし曲目でとりあげない限りは自分たちに足りないものに気がつくこともなく・・・と難しい選曲です。

W.A.モーツァルト/歌劇「後宮からの誘拐」序曲

いわゆるジングシュピールといわれる、軽めのオペラです。
当時の世相を現し、東方(トルコ)の要素が取り入れられている・・・らしいです。

ヨーロッパとトルコの関係というと、こんな感じです
 1453年 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略
 1529年 第一次ウィーン包囲
 1571年 レパントの海戦
 1683年 第二次ウィーン包囲
 1685年 J.S.バッハ生まれる
 1718年~1730年 いわゆるチューリップ時代
 1756年 W.A.モーツァルト生まれる
 1768年~1774年 露土戦争
 1775年 ヴァイオリン協奏曲第3番「トルコ風」作曲
 1781年 モーツァルトがウィーン移住
 1782年 「後宮からの誘拐」作曲、モーツァルト結婚
 1783年 「トルコ行進曲」作曲
 1794年 ハイドンが交響曲第100番「軍隊」を作曲

時代としては、もうオスマン朝トルコが衰退していますね。
ウィーンにトルコ音楽が流行したのは、第二次ウィーン包囲の影響などといいますが
意外なのは、ハイドンの「軍隊」が意外と後ろの方なんですね

ちなにみ、「後宮からの逃走」というタイトルもありますが、正確な訳は「誘拐」なのだそうです
→参考:http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k384.htm
ちなみにGoogleで調べてみると・・・
 後宮からの誘拐 に一致する日本語のページ 約 20,300 件
 後宮からの逃走 に一致する日本語のページ 約 32,100 件
「逃走」の方が多いですね・・・

苫米地英一/『尺八と管弦楽のための3つの連画』

 日本画家の東山魁夷は著作「日本の美を求めて」の中で次のように述べています。

「外国の文化を好んで受け入れるというこの性質は、ともすれば自国の文化のよさを見る 目を失う危険性をつねにともなっております。」

 外国文化の受容に対する日本人の特質を危惧する東山魁夷はしかし、外来文化の積極的な摂取に対して、“強力な咀嚼力”と“柔軟性をもつ融和力”によって日本人は、今なお清新な活力を持ち続け、また「自国の文化の廃退と老衰を救ってきたとさえ思われる」と述べています。

 尺八や箏、琵琶、三味線等は、今日のオーケストラのようにかつて海外から日本に輸入された“外国”の楽器でした。しかし、日本人のその特性である“咀嚼”や“融和”によって、今ではすっかり日本の“伝統楽器”となっています。

 オーケストラが“日本の伝統文化”になるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、本日のように新しい作品を作り出していくコンサートが今後もたくさん増えていくことによって、日本の文化がいつまでも生き続けることを願ってやみません。



『尺八と管弦楽による3つの連画』

残雪の情景を前に、失われていった生命に想い巡り、そして様々に移ろいでいく情感を描いています。

≪1楽章 残雪の光≫
眩いばかりに光る春の雪。冬と春が交差する特殊な空気感の中で、私たちの生命の歴史に思い及びます。

≪2楽章 精霊(しょうらい)の歌≫
精霊となっていった遥か昔からの私たちの祖先や自然、愛する人。様々な情感が湧き起ってきます。

≪3楽章 春の巡礼≫
残された私たちはこれからどこへ進んでいくのでしょうか。生命の歴史が降り積もった大地の上にはまた美しい春の情景が訪れます。

独奏の尺八は1楽章と3楽章で一尺八寸と一般的な長さの尺八を、2楽章では通常より長い二尺三寸の尺八を使っています。また音楽は、西洋音楽や尺八の様々な書法を用いながら、最後は千二百年前には既に日本に鳴り響いていた笙の和音「行」で締めくくっています。

(文:苫米地英一)

2014/09/23

F.P.シューベルト/交響曲第7番『未完成』

或曰、「以子之矛、陥子之盾、何如。」其人弗能応也。

教科書でも引用される、『韓非子』の一節です。

この「未完成」は矛盾した曲と言えます。
形式的には確かに2楽章までしかなく、未完成と言えます。

しかし、この後にどのような3楽章、そしてフィナーレを書くことができるのでしょう。
この曲は「未完成」でありながら、「完成」していると言えるのです。
成立からしてなんとも謎に満ちた曲です。

「シューベルトは続きを書くのを忘れていた」「3楽章が思い浮かばず、書くのを放棄した」「H管の金管楽器がないために書けなかった」etc、なぜこの曲が形式的未完のまま終わったのか、ロマン溢れる議論というか期待というか、物語が語られてきました。
僕はまだ観ていませんが、映画にもなっていますね(映画ではロマンスに理由を求めているようです)。

映画になってしまうほど、この曲に限らずシューベルトの世界はなんともロマンと物語に満ちています。

オケの人間はなかなか手を出さない室内楽や歌曲の世界ですが、シューベルトは交響曲よりもそちらの方を得意としています。
アマチュアではこの未完成とグレート、それに5番の交響曲、アンコールピースに「ロザムンデ」の間奏曲3番、これぐらいしか取り上げられないのが少々寂しいところです。
モーツァルトともベートヴェンともブラームスとも異なるこの世界、なかなかディープな楽しみもありそうですね。

■関連リンク
矛盾
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE
映画の話
http://matsumo-web.hp.infoseek.co.jp/music/page6cb.htm
「未完成交響曲」強奪事件
http://www.cwo.zaq.ne.jp/kawasaki/MusicPot/schubert.htm

演奏会履歴(第1~5回)

第1回演奏会 

2000年4月15日(土) 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第2番」(ベーレンライター校訂新版)
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第3番”英雄”」(ベーレンライター校訂新版)
 L.V.ベートーヴェン/バレエ音楽「プロメテウス」より「フィナーレ」(アンコール)

第2回演奏会 

2000年10月8日(日) IMAホール 指揮:広井 隆
 L.V.ベートーヴェン/序曲「シュテファン王」
 J.ブラームス/「ハイドンの主題による変奏曲 作品56a」
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第5番」(ベーレンライター校訂新版)
 W.A.モーツァルト/歌劇「魔笛」より序曲(アンコール)

第3回演奏会 

2001年4月15日(日) 横浜みなとみらい 小ホール 指揮:広井 隆
 J.S.バッハ/「管弦楽組曲(序曲)第3番ニ長調 BWV1068」
 J.ブラームス/「セレナーデ第2番イ長調 作品16」
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第4番変ロ長調 作品60」(ベーレンライター校訂新版)
 W.A.モーツァルト/「3つのドイツ舞曲 K.605」より第3曲「そりすべり」(アンコール)

第4回演奏会 

2001年10月7日(日) IMAホール 指揮:広井 隆
 L.V.ベートーヴェン/序曲「フィデリオ」
 S.プロコフィエフ/交響的物語「ピーターと狼」 作品67
 L.モーツァルト/「おもちゃの交響曲」より第1楽章
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第6番ヘ長調 作品68"田園"」(ベーレンライター校訂新版)
 J.ハイドン/R.ホフシュテッター
   "アンダンテ・カンタービレ"~弦楽四重奏曲第17番(偽作)ヘ長調作品3-5「セレナード」より第2楽章(アンコール)

第5回演奏会 

2002年4月6日(土) 川口リリア 音楽ホール 指揮:広井 隆
 M.ラヴェル/組曲「クープランの墓」
 G.フォーレ/「ペレアスとメリザンド」作品80
 L.V.ベートーヴェン/「交響曲第8番へ長調 作品93」(ベーレンライター校訂新版)
 G.フォーレ/「ペレアスとメリザンド」より「シシリエンヌ」(アンコール)
 M.ラヴェル/「亡き王女のためのパヴァーヌ」(アンコール)

W.A.モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527

私自身はアマチュアのプレイヤーにありがちなことに、オペラとの接点があまりない。・・・むしろはじめてだろうか?

もちろんオペラの序曲は数多く演奏してきた。

そのときに指揮者がふと口にする「これは○○の主題」「これは△△の場面の音楽」にあまりオーケストラは興味がないといえば興味がなかったりする。重要なのは”序曲として”独立して成立している曲なのであって、決してそのオペラそのものではないのである。
R.シュトラウスの「薔薇の騎士」を演奏するときに、その全体の物語に目を通すか?
あるいはアンコールのレパートリーとして有名な、シューベルトの「ロザムンデ」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲をその1曲だけで演奏したような気になっていないだろうか。

なんとも、アマチュアとは贅沢であり、また無知であり、無謀である。

もちろん、楽しみ方にはいろいろあるのだし、序曲だけで取り上げられるだけの曲は、やはりそれだけの魅力を持っている。ただ、それだけで木を見て森を見たつもりになって満足してしまうのはもったいない話ではないだろうか。

別に学者ではないのですべてに通暁している必要はまったくないが、自分が好きで浸っている世界なのである。アマチュア演奏家はもっと貪欲になっていいはずだ。
さてドン・ジョヴァンニ、あるいはドン・ファン。ようするに軟派男の代名詞である。現代風に言えば結婚詐欺師か。

一応オペラブッファに分類されるはずなのだが、ストーリーはなんともドロドロしている(ここでストーリーを書き出すととまらなくなるので、割愛しておこう)。

モーツァルト自身は決して健全な、というか人格者ではない。本人にあったことがないので映画「アマデウス」のイメージが強いのだが、下ネタ満載の彼 の手紙はその音楽、例えば交響曲第40番あたりの世界とはあまりにかけはなれている。そしてそれがまたモーツァルトの魅力だったりする。

ある意味、女性経験の豊富な(とされる)モーツァルトにとっては一見ふさわしいドン・ジョヴァンニであるが、そのラストを考えると単純にそうともい えない。ドン・ジョヴァンニは自分の生き方を変えることを拒否して遂には地獄に送られてしまう。もしかしたら・・・モーツァルトはどこか自分の生き方を重 ねていたのではないだろうか。

ところで、ベートーヴェンがウィーンのモーツァルトを訪れた際に、この「ドン・ジョヴァンニ」を作曲中だったという話もある。二人の出会いは1787年4 月で、ドン・ジョヴァンニの初演は1787年10月。普通に考えれば4月にはこれだけの曲なのだから着手していそうだが、初演日の2日前から書き始めたと の話もある。

・・・モーツァルトだけに否定できないのが恐ろしい。

またベートーヴェンの即興演奏を聴いたモーツァルトは「この少年を覚えておきたまえ」と周囲に語ったとされているのは有名な話だが、実はこれは本当かどうかはわからないらしい。

ひとつ確かなことは、ベートーヴェンはドン・ジョヴァンニのような人間は嫌いだろう、ということぐらいか。歌劇「ドン・ジョヴァンニ」についてどのような評価をしていたのかは、また謎である。

こちらのページが参考になります
モーツアルトの歌劇 解説・批評
ドン・ジョヴァンニよもやま話
『ドン・ジョヴァンニ』あれこれ

E.グリーグ/「2つの悲しき旋律」 作品34

グリーグといえば、ペール・ギュントやホルベルク組曲、ピアノ協奏曲など馴染みの曲があるものの、彼の母国たるノルウェーをはじめとした北欧の国々 と日本はあまり縁が深いとは言えないかもしれない。日本史を教科書をパラパラとめくっても、ノルウェーがでてくることはまずない・・・と思う。正直、私自 身ノルウェーについての知識もあまりない。教科書通りの話をすれば、お互い王室・皇室を持つこともあり皇室外交が展開されているとか、政治・経済的にはそ れほどの深い関係はないのかな?とか、あとは「ノルウェー料理の店」を見かけた記憶がない、といった程度だろうか。

だが、しかしである。このグリーグの作品は何故、これほどまでに心に染込んでくるのであろうか。ペール・ギュントの冒頭が流れれば、誰もが、多くは 実際には見たこともない、北欧の光景を思い浮かべてしまう。朝、白樺の林(がノルウェーにあるのかは知らないが・・・)に霧が立ち込め、小鳥のさえずりが どこからとも聞こえてくる・・・。ああ、なんとも幻想的な光景だ。遠くユーラシアの反対に位置する音楽がこれほど心を、魂をゆさぶるのだ。かのカザルスの 言葉と私の師匠がよく引用するのだが、「音楽は世界を救うであろう」、を信じてみたくもなるものだ。

さてこの「2つの悲しき旋律」、もとは歌曲として作曲されたものだそうだ。歌曲といえばシューベルトやシューマンなどが有名であるが、このグリーグ もなかなか大家として名を馳せているらしい。らしい、となるあたりが器楽奏者の世間の狭さをあらわしているが・・・なかなか自分で演奏する機会がないと勉 強不足となってしまうなぁと痛感する。

第1曲は「胸の傷み」。失恋であろうか・・・ともすればあまりに暗くなってしまうが、冒頭はバイオリン、それからチェロにより主題が奏でられる。

第2曲は「過ぎにし春」。北欧の遅く、短い春の終わりは日本のような「梅雨の季節だねぇ・・・」な憂鬱な季節ではないようだ。

余談
ノルウェー暮らし:ノルウェー料理のレシピなんてものが

L.v.ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調Op.93

「ベートーヴェンの交響曲で最も人気のあるのは何番か?」、と問われれば、3,5,7,9番のいずれかがおそらくは該当しそうなものである。ちょっと通な?人は1番とか4番とか6番とか。意外と隠れた人気があり、プロの演奏会でもちょくちょく目にするのは2番であろうか。

・・・そう、8番はマイナーである。

立場としては3番と5番に挟まれた4番と同じように、出来のいい兄の7番、出世しすぎた9番に遠慮する次男坊の悲哀が漂っている。 Wikipediaにも「ベートーヴェンはこの第8番を結構気に入っていたのだが、聴衆からはあまりよい反応が得られず、現代でも相対的に人気は今ひとつ である。」などと書かれてしまっている。

人気のなさに拍車をかけるのは構成的に「1番、2番、4番のような小品」なのか、「偉大なる大作」なのかがはっきりしないとことではないだろうか。前者として、古典的な交響曲として考えるにはその表情はあまりに豊かであり、後者として分類するにはいささかシンプルである。

我が尊敬するギュンター・ヴァントの演奏でさえ幾分その迷いというか、彼の手兵である北ドイツ放送響の中でも結論としてどちらであるのか、その解釈 は定かではない。快活に曲が進む時もあれば、停滞とまではいかないが、出だしの勢いが失われているように感じられることがしばしある。もちろんrit.の 指示が書かれていれば別ではあるが、同じフレーズを繰り返しつつ盛り上がるところなどは力尽きている感があったりする。

・・・確かに刻みの疲れる曲ではありますが(==)

そんな8番であるが、第2楽章はやはりキモである。

かの朝比奈氏もその著書の中で「音楽の歴史上、こんなシンフォニー楽章は二つとないでしょうな」と書いているが、メトロノームのカノン云々の真相は別とし て、そんなエピソードがついてくるのもこの楽章の魅力故だろうか。以前某音楽評論家の指揮で演奏したときには、「ベートーヴェンが湯治に行く際に乗った馬 車の音」ともいわれたが、それもおもしろい話だ。

L.v.B.室内管弦楽団室内楽演奏会 vol.3

2015年1月18日(日) ティアラ江東 小ホール
13:00 開場 13:30 開演
入場無料
 
曲目:
 J.イベール/木管五重奏のための3つの小品
 L.v.ベートーヴェン/3つの二重奏曲 WoO.27 より 第1番 ハ長調
 F.メンデルスゾーン-B/弦楽四重奏曲第6番 ヘ短調 作品80
 J.M.ラヴェル(M.ジョーンズ編)/『クープランの墓』
 W.A.モーツァルト/クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581


三回目となる室内楽演奏会です。
弦楽四重奏、木管アンサンブル、そしてモーツァルトの(無数にある)最高傑作の一つであるクラリネット五重奏曲をお送りします。

ベートーヴェンのWoO(作品番号なし)の作品には我々のイメージする気難しい顔ではなく、楽しげな作品が残されています。
偽作ともされていますが、どこか「スプリングソナタ」を思い浮かべる 作品です。

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会場アクセス:
 地下鉄 都営新宿線・東京メトロ半蔵門線 「住吉」駅下車 A4出口より徒歩4分