とある演奏会情報サイトの演奏家別の曲目を見ていると、セレナーデ第1番が12回、第2番が4回、序曲やハイバリは・・・途中で数えるのをやめたぐらいと大きな差があります。
この差はどこから来るのか不思議なのです。
確かに若い頃の作品だけあって交響曲のような重厚な作品ではなく、【ブラームスらしさ」は感じながらも”若さ”を感じる作品です。
そもそもセレナードの曲の説明自体が、
恋人や女性を称えるために演奏される楽曲、あるいはそのような情景のことを指して使う(Wikipediaより)とあるように人生観を表現したり、「闘争と勝利」のような重いジャンルではなかったりしますから「髭もじゃのブラームス」のイメージとはちょっと想像できないのです(でも別にロマンスと無縁の人という訳でもないですし・・・)。
では曲自体が未熟とか駄作か・・・なのですが、そんなことはありません。
そこはやはりブラームスなので若い頃とは言えしっかりとした作品を残しています。
特に第2番のAdagioは恋に悩むブラームスの姿を思い浮かべると、演奏のイメージが湧いてくる曲だと思いますし、終楽章はなんとも楽しげなロンドです(演奏の度にもう終わってしまうのか〜と)。
考えれば考えるほど人気のない理由の分からない曲ですが、こうした「隠れた名曲」を積極的に取り上げていくことでその魅力を広めていきたいなあ、と密かに思っていたりもします。
さてこの第2番、特徴はやはりバイオリンを欠く弦楽合奏であることです。
自然高音部はフルートに頼ることになるので、曲全体が落ち着いた雰囲気(あるいは地味)な印象が残ります。
交響曲などではバイオリンは結構高い音を演奏することが多いので、随分と
さて、実際に演奏する際に悩むのが楽器の配置です。
通常であれば後方に管楽器、手前に弦楽器が並びますが、一番人数の多いバイオリンがいないため配置は演奏する時に頭を悩ませることになります。
L.v.B.ではバイオリンの位置にビオラ、対向する位置にチェロとしました。
となるとビオラの首席奏者が「コンサートマスター」になります。
しかし・・・意外とビオラがアンサンブルをリードするところがなく、この配置がベストではなかったかもしれません。
ちなみに後述の動画ではフルートをコンサートマスターの位置に置き、通常のバイオリンの位置に木管楽器を並べた配置にしています。
これならば木管セクションがアンサンブルをリードすることになるので、演奏しやすいはずですが、指揮者は慣れずに苦労しそうな配置なのと、終楽章でピッコロが入ると客席に向けて音がでることになるので、今度はフルート奏者が気を使う配置なのだそうです。
なかなかうまくいかないものです・・・
※YouTubeのサイトに移動してご利用ください
Johannes Brahms Serenata in La maggiore, op.16