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2020/03/16

L.v.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調『英雄』 作品55

作曲に取り掛かる前年である1802年、ベートーヴェンは既に耳の不調を感じはじめていた。日を追って悪化する聴力の低下に絶望を覚え、「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためたが、音楽家としての強固な使命感と作曲への意欲からこれを克服した。

そのような時期に作曲されたのがこの『英雄』である。

『英雄』ナポレオンの為に献呈しようと作曲したが、皇帝即位の報に接し、表紙を破り捨てたというエピソードは有名である。真偽を確かめる術はないが、当時ポーランドを初め欧州各国ではナポレオンは庶民の味方、英雄であった事は間違いない。
結局のところ、ベートーヴェンは「英雄交響曲、ある偉大な英雄の思い出捧ぐ」と書き添えた。

今日、ベートーヴェンの奇数交響曲(1, 3, 5, 7, 9)は大編成のオーケストラをよく鳴らし、偶数交響曲(2, 4, 6, 8)は小編成に適しているとの話をよく耳にするが、ベートーヴェンが初演を行なった時、弦楽器は1stヴァイオリンのみ4人で他のパートは2人しかいない編成であった。当時としてはむしろ一般的な編成であったといえる。

演奏会では室内管弦楽団の特色を生かし、初演に近い編成での演奏を楽しんで頂ければ幸いである。 


第1楽章 Allegro con brio ソナタ形式
決然さを感じさせる2度の強奏からチェロによる第1主題が提示され、様々な動機が描かれる。長大な展開部では第1主題が変化しながら発展を続けていく。再現部では改めて第1主題を再現し、堂々たるコーダによって力強く終わりを迎える。

第2楽章 Marcia funebre: Adagio assai ABACAのロンド形式
葬送行進曲ではあるが、死を悼むというよりは過去との決別を思わせる。1stヴァイオリンとオーボエで主題が提示(A)された後、ハ長調の伸び伸びとした中間部(B)に移る。

ベートーヴェンは後の交響曲第5番『運命』や交響曲第9番『合唱付き』でもハ長調で光が差し込む情景を描いている。今回演奏する『プロメテウスの創造物』も同じハ長調であるが、ハイドンの『天地創造』をこれらの作曲で意識したのではないだろうか。
また、主題提示の裏では「タタタ・タン」という『運命』の動機を伴う。


最後は厳かなコーダで終わりを迎える。 

第3楽章 Scherzo: Allegro vivace 複合三部形式
可変拍子を思わせる部分を取り入れたスケルツォ楽章。中間部はホルン3重奏で勇壮な音楽を奏でる。

第4楽章 Finale: Allegro molto 変奏曲形式
今日ではブラームスの交響曲第4番、終楽章のように目にする機会も多いが、当時は斬新で異例の形式であった。『プロメテウスの創造物』終曲のテーマが流用され、様々な展開を迎える。フガートやフルートのソロを取り入れるなど、決して単調な展開ではない。トルコ行進曲を思わせる変奏などを挟んだのち、テンポを落として過去を回想しているかのような旋律が奏でられる。盛り上がりを迎えたのち、弦楽器と木管楽器によるモーツァルトを想起させる静かな会話が行われる。  


フィナーレでは冒頭部分が再現されたのち、『英雄』の凱旋で熱狂的に終わりを迎える。

2020/01/17

L.v.ベートーヴェン/エグモント序曲Op.84(ホルン八重奏)

ベートーヴェンの生誕250年にあたる今年。かの楽聖の名を戴く当団としては、室内楽演奏会といえどもその作品は外せない、ということで、ホルンアンサンブルで演奏するのはベートーヴェン中期の名作、劇音楽「エグモント」op84 より序曲となります。この劇音楽は序曲が大変に有名ですが、その他に、物語の進行に沿った9曲の小曲があり、それらを合わせて一つの作品となっています。


劇音楽の題材となった「エグモント」の物語は、スペイン(ハプスブルク帝国)治下のネーデルラントで、その圧政に対して立ち向かった実在の人物、エグモント伯を描いています(序曲の冒頭で提示され、主部でも何度も現れるリズム動機は、スペインの舞曲「サラバンド」を連想させるもので、スペインの圧政を示しているとも言われます)。

物語の最後、エグモント伯は牢につながれ、斬首の刑に処されることとなります。しかし、その精神は死後も讃えられ、後世へとつながっていくことを確信するかのように、高揚感のある勇壮な音楽「勝利の交響曲」を背景にエグモント伯は死刑台へ歩んでいきます(この音楽は、序曲のコーダにそのまま引用されています)。

オーケストラで演奏する際は、優しく慰めるような響きの木管、ヒロイックな金管、雷鳴のように轟くティンパニや低弦、焦燥感あふれる悲壮なメロディを奏でるヴァイオリンやヴィオラ、高潔な精神の勝利を表すコーダのピッコロの煌めき、などなど、多様な楽器が組み合わさって世界を作りますが、今回の演奏ではホルン8本のみ。表現力を磨く機会と、悪戦苦闘しながら演奏致します。しかし、ホルンが重なって紡ぐ重厚なハーモニーは、この曲のテーマを表すのに最適なのかもしれません。どうか楽しんでお聴き下さい。

この曲の演奏会

2020/01/08

L.v.ベートーヴェン/バイオリンとチェロのための3つの二重奏より1番 WoO27-1

アンサンブルの最小単位の二重奏。
高音域のバイオリンと低音域のチェロの組み合わせ。
ですが、メロディはバイオリンだけでなく、チェロにも乗り換えながら曲は進みます。二重奏なので、奏者にも聞き手にも、入れ替えが分かりやすくできています。
曲の構成は3楽章。
軽快で明るい1楽章で始まり、ゆっくりで少し陰鬱な短い2楽章を挟んで、最後は、軽快で明るい3楽章で終わります。

実は、WoO27は、クラリネットとバスーンの組み合わせがオリジナルで、今回は、バイオリンとチェロの二重奏に編曲した譜面を使っています。
そのため、管楽器では通常はない、同時に複数の音を出す部分など、編曲であるためにオリジナルとは違った楽しみがあると思います。

さて、今回のこの曲はクラシックの曲名でよく見る「Op」ではなく「WoO」の番号が付いています。
WoOとはドイツ語で「Werke ohne Opuszahl」。
日本語にすると「作品番号のない作品」つまり、作曲家本人ではない他の人が何かしらの根拠をもとに付けたものです。

ですが、この曲が「Op」ではなく「WoO」が付いているのは、習作だから付けなかったのではなく、偽作ではないか?という疑いがあります。その判断を難しくしているのが、この第1楽章の冒頭にあるメロディが、ベートーヴェン作曲で”春”という愛称で親しまれている、「バイオリンソナタ第5番op.24」の始まりと似ている点の捉え方です。
似ているというのは、ベートーヴェン自身が後で引用した、と素直に考えられる一方、これをモチーフとして他の誰かが作曲したのではないかという指摘。同時代に活躍した、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、などの作曲家たちは、お互いに影響を受けたり、場合によっては師弟関係があったという当時の環境からです。

なお、ベートーヴェンがこの曲を作曲したという確たる証拠(自筆譜など)が無
いらしいとのことが、偽作の疑いを晴らせない原因の一つにあるそうです。

この曲の演奏会
室内楽演奏会 vol13

2019/07/15

F.クライスラー / ベートーヴェンの主題によるロンディーノ・L.v.ベートーヴェン / ロンド ト長調 WoO.41

オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラーは幼少より「神童」呼ばれ、一時は医学を学んだり陸軍でも昇進するなどの意外な面もあったりする。
活動の場はヨーロッパからアメリカに移り、ハリエット・リースと結婚すると彼女の敏腕マネージャとしての支えが音楽家としての大成の一因ともなったらしい。
演奏だけではなく作曲家としてもいくつかの作品を残しており、「愛の喜び」「中国の太鼓」などはヴァイオリン教室の発表会でのレパートリーとしても親しまれている。

作曲した曲には●●の様式(主題)と名付けられてものが残されており、のちにこれらの作品はクライスラーのオリジナルであることが公表された。
当時はそれなりに騒動になったようだが、現代でもそのままのタイトルで演奏されている。クライスラーは旅行先で発掘・発見した知られていない曲を取り上げたり、先達の様式とした作品により古典作品への関心がおきたりと賛否あるエピソードだ。

そんな中、この「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」は実際に編曲元となる作品がある。
何曲かあるベートーヴェンの「ロンド」のうち、その中でもっとも知名度がないであろうWoO.41がそれにあたる(WoOとはWerke ohne Opuszahl=Works without Opus number、つまり作品番号のない作品の意味)。
原曲はどちらかと言えばピアノの比重が高い作品であるが、確かに同じ主題をもつ曲であることはすぐにわかる。
作曲が1792年であるからハイドンに弟子入りをしたころ、Opus付きの作品であればOpus1となるピアノ三重奏などと同時期にあたるが作曲の背景などの情報はあまりない作品で、おそらくは習作として残した作品と思われる。

クライスラーが発見(採用?)しなければもっと知られることのなかったであろう作品であるが、きっとこうした作品を重ね1798年にはヴァイオリン・ソナタ第1番Op12へとつながったのかと若きベートーヴェンの姿を思い浮かべてみるのは悪くない小品だ。

2019/03/23

L.v.ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調 作品21

作品番号1番や第1番というのは作曲家にはやはり特別なものなのだろうか。

有名なところではブラームスの交響曲第1番。
完成までに20年を要したことは、この曲がいかに重要なものだったかという証だろう。

天才モーツァルトはどうだろう。
K.1のピアノ曲は5歳の時なので、感慨とかはやはりないだろうか。
交響曲第1番は8歳の時の作品。
天才はきっとさらりと作曲しただろうが、ジュピターのテーマはやがて最後の第41番でも用いられる特別なものだ(しばしジュピターのアンコールで用いられる)。

ベートーヴェンは作品番号が付くまでWoO(ドイツ語で作品番号なしの作品の意)を書きあげ、作品番号1はピアノ三重奏、それからOp2-1ピアノソナタ、Op5-1チェロソナタ、Op12-1バイオリンソナタ、Op15ピアノ協奏曲、Op18-1弦楽四重奏と来てOp21がようやく交響曲の第1番だ。
こうして並べてみると破天荒な性格に見えるベートーヴェンだが実直に、少しずつレパートリーを作り上げて交響曲へとつながっているようだ。

もともとピアノ奏者からはじまるベートーヴェンだし交響曲作曲家などまだなかった時代であろうから、交響曲そのものに思い入れがあったのかはなんともだが、それでもハ長調で書きあげられたこの曲はモーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」との関連を想像させる。

「ジュピター」交響曲は古典に限らず音楽の最高峰だろう。
笑っているのか、泣いているのか、その時、演奏者によって様々な顔を見せ、バッハとはまた違う意味で“神様の音楽”だ。
終楽章のフガートは永遠に続いてほしいと思うのだが、やがて終演を迎え、神様の時代が終わる。
そして10年の時を要しこのベートーヴェンの第1番が生み出されると、最初のハーモニーと共に”人の音楽の時代”がはじまる。
そんな妄想をしてみたりする。

序奏部は本来であればハ長調のハーモニーから始まるものだが、属七の和音から焦らされて不安定な調性が続くところも、古典の終わりを予感させているようだ。
短い序奏が唐突に終わり快活な提示部へ突入すると、あとはベートーヴェンの世界だ。
第2楽章ではややハイドンを思い起こしながら(この時まだ存命であるが)、第3楽章では後のスケルツォ楽章を予感させる速いメヌエット。
そしてロンド楽章の終楽章はまだ「ハイドンの影響を感じさせる」と言われながらもベートーヴェンらしい力強さで奏でられる。まだ「闘争と勝利」のような輝かしいフィナーレではないところが、若きベートーヴェンの作品として安心して聴くことができたりもする。


ここから第9の完成までは約24年の年月を待つ。
当時の人々は当然その完成を知ることはないわけだが、もしこの時代にタイムトラベルしたとしたら、なんとも待ち遠しい時間になりそうだ。


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第43回演奏会

2019/01/23

L.v.ベートーヴェン / 弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.3

ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770-1827)が弦楽四重奏曲を書き始める前に、彼は5曲の弦楽三重奏曲を作曲している。
そして、弦楽四重奏曲を書き始めた以後は、弦楽三重奏曲1曲も書かれていない。

つまり弦楽三重奏曲は、彼にとっては弦楽四重奏曲への道程たるに過ぎなかった。
しかしこの曲はピアノとチェロのためのソナタ(Op.64)に編曲されており、弦楽三重奏曲の中でも彼にとって会心の作品だったようだ。

この作品の作曲年代については正確な記録はないが、1796年にウィーンのアルタリア社から出版されているので、この頃の作品と思われる。ハイドンの許で作曲のレッスンを受けていた頃である。

この曲の構成は6楽章からなっており、当時のディベルティメントの形である。
作風からいえばモーツァルトの影響が認められる全体的にすっきりとした印象。

今回はこの中から抜粋して、第1,2,3,6楽章をお届けする。

Ⅰ. Allegro con brio
Ⅱ. Andante
Ⅲ. Menuetto. Allegretto
Ⅳ. Adagio
Ⅴ. Menuetto. Moderato
Ⅵ. Finale. Allegro

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2018/07/28

L.v.ベートーヴェン/木管八重奏曲 変ホ長調 Op.103

管楽器のための8重奏曲 変ホ長調 Op.103は、1792年に作曲され1793年に改定された楽曲です。
ベートーヴェンは1770年生まれなので22・3歳ごろに作ったことになり、作品番号でいえば1番あたりでもよいはずなのに何故103番なのか-それは、この曲がベートーヴェンの死後、1830年に出版されたためこのような作品番号となった-ということです。

ちなみにベートーヴェンは改訂されたのに外に出さなかったこの曲を弦楽5重奏に編曲し、1796年に「Op.4」として出版しました。弦楽5重奏という新ジャンルを開拓する実験曲のベースとしてOp.103を使用していたのです。
さらに1806年、彼のよき理解者でありよき友であったフランツ・クラインハインツが弦楽5重奏からピアノ3重奏曲に編曲し、本人がそれを承認したことでOp.63として出版されています。
まさにこの曲は一粒で三度美味しいといわんばかりですが、曲のベースは同じでも全てが別の楽曲として成立するのはさすが大作曲家!としかいいようがありません。

Op.103の編成はオーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルンが各2本で、この編成はベートーヴェン憧れのモーツァルトの管楽セレナーデと同編成なので、何か影響を受けたに違いないでしょう。
曲想は短調楽章のない、軽やかで明るく爽やかな4つの楽章で構成されています。オーボエとクラリネットが曲を導きファゴットとホルンがそれを支える、木管楽器の温かくて柔らかい響きとバランスのとれた音楽をお届けいたします。

この曲の演奏会
室内楽演奏会vol.10

2018/04/12

L.v.ベートーヴェン/序曲 ハ長調 Op.115 《命名祝日》

「命名祝日」序曲はオーストリア皇帝フランツ1世の祝日のために作曲された曲だ。
「ハプスブルク帝国」に連なり、神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世として1792年に即位し、フランス革命とナポレオンの台頭により1794年にフランス革命戦争がはじまると第一次対仏大同盟に参加する。
1804年にフランツ2世はオーストリア帝国の皇帝フランツ1世として即位するが、1805年の三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で敗北し神聖ローマ帝国の皇位を放棄、神聖ローマ帝国は滅亡する。
しかし引き続きオーストリア皇帝としては活躍し、宰相メッテルニヒやナポレオンに嫁いだマリー・ルイーズといった人物が知られている。

同じくフランツ1世のために作曲された曲としてはハイドンの「神よ、皇帝フランツを守り給え」が知名度としては圧倒的だろう。弦楽四重奏曲「皇帝」の一曲として、また神聖ローマ帝国以降の国家として、歌詞や編曲をされながら受け継がれ現在でもドイツ国歌として歌われている(ただし法律で決まっているわけではないらしい)。

「命名祝日」は時期としては中期に属する作品であるが、後期の作品を思わせる展開と、何よりのちの「第9」で用いられる「歓喜の歌」が聴こえてくる。交響曲第8番以降スランプに苦しむベートーヴェンが何かきっかけをつかんだ作品、かもしれないと思うと演奏の機会に恵まれないこの作品が一転思わせぶりなものになる(この曲の翌年1816年ごろからがベートーヴェンの「後期」の作品と言われることが多い)。

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第41回演奏会

2018/02/22

L.v.ベートーヴェン/ピアノソナタ第8番 ハ短調 作品13『悲愴』

オーケストラの人間にはベートヴェンは9つの偉大なる交響曲作曲家であり、序曲や協奏曲が重要なレパートリーだ。弦楽器にとっては16の弦楽四重奏、10のヴァイオリンソナタ、7つのピアノ三重奏曲もはずせない。

そしてピアノ。
ベートーヴェンはもともとはピアノ・ヴィルトーゾとしてデビューしたのであり、ピアノソナタは32曲にもなる。『田園』『月光』『テンペスト』『熱情』といった超有名曲と並び最も知られるのがこの『悲愴』だろう。

 『大ソナタ悲愴』("Grande Sonate pathétique") と題されたこの曲はベートーヴェンが27-28歳のころに作曲され、初期に分類される作品だ。
この曲が作曲された時にはまだ交響曲も弦楽四重奏も世に出ておらず、のちの作品のような悲劇性、闘争と勝利といった構成ではなく、「青春の哀傷感」との表現があう感情だろう。演奏家としての限界を感じ、作曲家への転身を図り、そしてベートーヴェンの生涯の苦悩となる耳の病を自覚しはじめたのもこの頃とされ、そんな感情が「悲愴」、悲しみではなく熱情や想いとして込められているようにも思える。

第1楽章:Grave - Allegro di molto e con brio
悲劇性を感じさせる導入部はGrave(重々しく)と指示されはじまる。これは100年後のチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が類似しているとも言われる。
優しいメロディーと激しい感情の交差する序奏はやがてAllegroに転じ、焦燥感・焦りの中走り出すような音楽となる。突然中断され再びGraveの音楽があらわれ、緩急の繰り返しが緊迫感を伝えてくる。

第2楽章:Adagio cantabile
歌詞をつけて歌われるほど親しまれるこの楽章は第1楽章とは一転して穏やかな癒しの音楽。
中声部のやや低い音域から高めの音域へとメロディーが映るのはまるで想いを寄せる男女のやりとりのようにも聴こえる。
やがて中間部では三連符が緊迫感を伝え、どこか不安を暗示するような低音の響きを呼び込む。ベートーヴェンの音楽において三連符とはやはり「運命の動機」 で、耳の病を自覚し始める時期の葛藤が美しい音楽の背景にあるのかもしれない。

第3楽章:Rondo, Allegro
激情、悲劇といった感情はいくぶん収まり、どこか達観したかのような軽やかなロンド。
長調の音楽でありながらしかしどこか哀しみを堪えながらもロンドは進み、最後はハ短調の決然とした思い、運命に抗う人の意思を伝えるかのように締めくくられる。

2017/07/15

L.v.ベートーヴェン / 七重奏曲 変ホ長調 Op.20

七重奏曲はベートーヴェン30歳の頃に作曲されています。同時期の作品に交響曲第1番がありますが、同じような明るく若々しい曲調です。
とはいえ、編成はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにコントラバスが入り、管楽器はクラリネット、ファゴット、ホルンというやや中低音寄りなメンバーなので、アンサンブルに重みを感じる箇所も多いです。

この曲はヴァイオリンの難易度が他の楽器に比較するととにかく高いと言われます。アマチュアでもヴァイオリンの難易度のために演奏される機会は多くありません。
ヴァイオリンはどの楽章でもアンサンブルの中心となっていますが、他の楽器も随所随所で旋律を奏でていたり、難しそうな箇所もありますので、他の楽器の活躍するところを探しながら聴いてみるのも面白いかもしれません。

第1楽章は全員ユニゾンの序奏からヴァイオリンが奏でるテーマをアレグロで展開させていきます。
第2楽章はクラリネットがロマンス第2番を思わせるような甘いメロディを提示し、ヴァイオリンとの絡みが聴きどころです。
第3楽章は軽快なメヌエットです。トリオ部分のクラリネット・ホルンの掛け合いに注目です。
第4楽章はヴァイオリンの奏でる主題から5つの変奏が演奏されます。それぞれの変奏で主役となる楽器が入れ替わっていきます。
第5楽章はホルンから始まるスケルツォで、後期作品が感じられるような曲調です。トリオはチェロの叙情的なメロディで雰囲気がガラッと変わります。
第6楽章は1楽章と同じく全員のユニゾンで序奏が始まり、ヴァイオリンから軽快なメロディが始まります。第5楽章がリズムを変えて再現された後の展開部の終わりではヴァイオリンのカデンツァがあります。再現部の後、明るく華やかに曲は終わります。


この曲の演奏会
室内楽演奏会vol.8

2017/02/26

L.v.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55《英雄》

ベートーヴェンが難聴であった事はよく知られているが、既に交響曲第3番の作曲にとりかかる5年ほど前(1798年ごろ)から兆候を自覚していた。1802年、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットに引きこもった彼は、音楽家にとって致命的ともいえる耳の病気に苦悩し、弟2人に宛てたいわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。

自殺さえも考えた彼であったが、危機を克服し、音楽家としての使命に目覚める。こうした劇的な構図が交響曲第3番「英雄」の根底にあると考えられる。

1803年、通称「エロイカハウス」と呼ばれるオーバデーブリングの借家でスケッチを書き、1804年中には完成をみる。長大な楽章、葬送行進曲やスケルツォといった、これまでの交響曲の常識を覆すほどの革新性をもった交響曲となった。

ナポレオンが帝位についたと聞き、「奴もまた俗物であったか!」と激怒し、表紙を破り捨てたという逸話もあるが、現存する自筆譜では「ナポレオン・ボナパルト」の題名が掻き消され「シンフォニア・エロイカ」に改められ、「ひとりの偉大な人間の思い出を記念して」と付記されている。

第1楽章 Allegro con brio
全合奏により2回和音が鳴ったのち、チェロによる主題が奏でられる。後に全合奏で演奏され、オーボエ・フルート・1stヴァイオリンの順に経過部を奏でる。長大な展開部を経たのち、2つ目の展開部ともいえるこれまた長大なコーダで力強く収束する。

第2楽章 Marcia funebre:Adagio assai
葬送行進曲の主題が1stヴァイオリンにより奏でられ、オーボエに受け継がれ簡単な経過部を経る。ハ長調に転調し木管により明るい響きが歌いだされる。壮大な頂点を築いたのち、再び葬送行進曲に戻り、静かな中に終わりを迎える。

第3楽章 Scherzo:Allegro vivace
弦楽器によりリズムが刻まれたのち、オーボエにより主題が提示される。中間部はホルンによる緊張感のある三重奏が奏でられる。

第4楽章 Finale:Allegro molto
主題と10の変奏をもつ。主題は自身が作曲したバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲から転用している。途中にトルコ行進曲のような第5変奏を挟む。徐々に厳かな雰囲気になり、最後は英雄の凱旋を想わせる圧倒的なコーダで締めくくる。

この曲の演奏会
第39回演奏会 
第45回演奏会

表紙の写真はベーレンライター社のスコアの中表紙。

Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo
英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐために作曲され
e dedicata A Sua Altezza Serenissima il Principe di Lobkowitz da Luigi van Beethoven
そしてベートーヴェンよりロプコヴィツ公殿下に献呈された

2017/01/30

L.v.ベートーヴェン / 弦楽四重奏曲第9番 ハ長調 「ラズモフスキー第3番」 Op.59-3

ウィーンに外交官として駐在していたラズモフスキー伯爵は芸術のパトロンとしても知られ、自身もアマチュアのバイオリン奏者であったと伝えられている。そのラズモフスキーの依頼で作曲されたのがベートーヴェン中期の作品である、3曲の弦楽四重奏曲でラズモフスキー四重奏曲やラズモフスキー・セットなどと呼ばれている。

1曲目と2曲目にはラズモフスキーの故郷ロシア(正確にはウクライナ)の主題が用いられている。第7番では4楽章、第8番では3楽章、特に第8番で用いられた旋律はのちにロシアの作曲家達に逆輸入されている 。
ラズモフスキーセットの集大成である第9番は最も充実した作品であり・・・そしてそのためか当時のウィーンの聴衆には受け入れられなかったとも伝えられているが、曲の構成、充実度はこの翌年に作曲された交響曲第5番・第6番を期待させる。
ちなみに交響曲第5番・第6番が献呈されたのはラズモフスキーの友人で同じくベートーヴェンのパトロンであるロプコヴィッツ伯爵。前回演奏した弦楽四重奏第4番も献呈されている。


第1楽章は短調の暗く物憂げな序奏に始まり、しかしすぐハ長調の明るい曲調へと転じる。この第1主題がその後の楽章でも用いられるが、第1バイオリンとその他の伴奏パートではなく、各パートに均等・交互に出番がまわってくるのが特徴と言える。

第2楽章はチェロのピチカートを伴奏に、憂鬱なメロディーが淡々と歌われる。

そして古典に回帰するような第3楽章(これはベートーヴェンが好んで使う)のコーダは終楽章への橋渡しを担い、アタッカ(楽章間を空けずに続けて演奏する、これまたベートーヴェンの好物)で終楽章へと突入する。
終楽章はビオラから始まるフーガ風の楽章で、ここでも各パートが順に主役を担っていく。全休止からの再現部は歓喜に満ちたフィナーレまでエネルギッシュに突き進んでいく。

作曲され200年が経過した今でも決して古さを感じず、新鮮味の溢れるこの曲はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中でも人気のある作品の一つでしょう。

・この曲の演奏会
室内楽演奏会vol.7

2016/11/03

L.v.ベートーヴェン/劇音楽《アテネの廃墟》 作品113 より序曲

「トルコ行進曲」と言えば、「エリーゼのために」と双璧をなすほど有名なベートーヴェンのピアノ曲ですが、この曲は実は管弦楽曲だったことはご存じでしょうか? 

それが演奏会の皮切りに演奏される「序曲」が収められている劇付随音楽「アテネの廃墟」の第四曲が「トルコ行進曲」です。
 「序曲」もベートーヴェン中期の作品らしく、とても充実した作品です。 聞きどころはなんといっても序奏部の陰影のあるオーボエのソロです。ベートーヴェンの序曲でこのような特定の楽器による長大なソロが演奏されるのはこの一曲のみです。

ドラマは主神ゼウスによって2000年間眠らされていた知恵と芸術の神ミネルバが目を覚ますとアテネは、トルコの侵攻により廃墟と化していたところから始まります。オーボエのソロはミネルバの悲しみを表しているかのようです。 
 曲の後半は、新たな土地で芸術の発展に力を尽くした皇帝フランツをたたえる賛歌で曲を閉じます。

曲は1811年に作曲され1812年の同じく劇付随音楽の「シュテファン王」と共に初演されました。

2016/07/20

L.v.ベートーヴェン / 弦楽四重奏曲第4番ハ短調Op.18-4

ベートーヴェンは、全16曲の弦楽四重奏曲を、前期6曲・中期5曲・後期5曲、とその生涯にわたって書き続けました。この4番の含まれる前期作品は、まだハイドンやモーツァルトの影響が残り、難曲ぞろいの中後期作品に比べてアマチュアでも比較的取り組みやすいと言われています。「第4番」とはなっていますが実際に作曲されたのは6番目、前期6曲の中で唯一の短調からは、徐々に耳が聞こえづらくなっていくベートーヴェンの苦悩が伝わってきます。交響曲第5番「運命」やピアノソナタ8番「悲壮」などの名曲と同じハ短調が使われているところにも特別な思いが込められているように感じられます。
冒頭は第一ヴァイオリンの力強く悲しい旋律から始まります。“旋律”対“伴奏”の第一主題から、お互いが心地よくなじむ第二主題へとつながっていきます。展開部では激しさを増し、悲壮感をより一層強めながら一楽章が進行します。

第二ヴァイオリンから始まる二楽章では、一楽章とは対照的に、楽章を通じて各楽器が対等にかわるがわる顔をのぞかせます。全体を通して軽やかな雰囲気ではありますが、その中にも緊張感や優しさ悲しみなどいろいろな音のバリエーションが表現されています。

三楽章はスフォルツァンドが印象的なドラマティックな出だしから始まります。4つの楽器が重厚に入りまじる大海原のようなメヌエット、3連符の刻みの中から優しいメロディが表れる穏やかな川のようなトリオ、対比的に描かれる各部分はベートーヴェンの迷いが表れているのでしょうか。

四楽章では一楽章から続く悲壮感が再び強く呼び起こされます。第一主題を何度も繰り返して徐々に盛り上がりながらたどり着いたコーダでは、最後に少し明るさをのぞかせしかしユニゾンで力強く終曲します。悲壮感やもの悲しさが随所に感じられる苦難の曲ではありつつも、様々な迷いが吹っ切れた、そう感じさせるような終わりを迎えます。

2016/02/11

L.v.ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番《皇帝》 変ホ長調 Op.73

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73 1809年完成,1811年初演

当団では、前回の演奏会で取り上げた交響曲第5番「運命」に続き、ベートーヴェンの5番の演奏となります。

ベートーヴェンの「傑作の森」(1804年からの10年間)と言われている中期の作品の中でも傑作中の傑作であることは異論のない作品です。
彼の最後のピアノ協奏曲であり、彼のあらゆる楽器での協奏曲でも最後の作品です。
ベートーヴェン自身もピアノの名手であったがゆえに「協奏曲」という分野の作品はこれで完成した。ということなのかもしれません。

みなさま「皇帝」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

この曲の「皇帝」という副題はベートーヴェン自身が付けたものでもなく、当時ウィーンを占領したナポレオンに献呈したものでもありません。(曲はベートーヴェンのパトロンだったルドルフ大公に献呈されています。)
時まさにナポレオン戦争の真っ最中で、オーストリア戦役にて、ウィーンがフランス軍に占領され巨額な賠償金を課せられた年の作曲です。当時のウィーンは戦火に巻き込まれ荒廃していた中で作曲されました。

「皇帝」といえばナポレオンを連想させますが、第3交響曲「英雄」を、ナポレオンに捧げたとはいえ自分の故郷を蹂躙した皇帝のために作曲したとはちょっと思えません。

この副題には諸説ありますがその威風堂々とした曲想から後世の人が名づけたようです。

第1楽章 Allegro.
その名にふさわしい変ホ長調のオーケストラによる堂々とした全奏から始まり、いきなりピアノによる華々しいカデンツァが演奏されます。
それまでの協奏曲の常識を覆す、この導入部は発表された当時は相当センセーショナルであったのはでないかと思います。

この序奏で聴衆の耳を演奏に釘づけにする手法こそ、後のロマン派の作曲家の協奏曲で用いられる手法の元祖なのです。
序奏のあとは古典派の常識にそった展開を見せていきますが1楽章の演奏時間の長さも当時では常識はずれの長さだったのです。
従来の協奏曲では、1楽章の終結部ではソリストの名人芸を披露するためにカデンツァが挿入されていておりましたが、ここでもベートーヴェンは常識を打ち破り「カデンツァ不要」としています。

第2楽章 Adagio un poco mosso.
いかにもベートーヴェンらしい、ロマンスあふれる旋律に満ち溢れた楽章です。
この美しさは情熱や告別といったベートーヴェンのピアノソナタに通じるものを感じます。

ベートーヴェンは、その肖像画の印象が強烈なためかどちらかというと、運命や交響曲第7番といった、硬派なイメージがありますが筆者はこういった美しいメロディーもベートーヴェンならではと感じています。

音楽的には、拡大された2部形式のようでもあり3部形式のようでもあります。
曲は止まることなくそのまま3楽章へ突入します。

筆者は、このオーケストラではトランペットを吹いております。
悲しいかなこの美しい第二楽章ではトランペットはお休みなのです。
しかし私はこの楽章が美しいメロディーと和声に満ち溢れており大好きなのです。
ベートーヴェンの時代のトランペットはバルブやキーというものがなく、打楽器(ティンパニ)を補完する役目をする楽器でした。
当時のトランペットではこの美しいメロディーは演奏することは不可能だったので仕方がないことですが。。

第3楽章  Rondo Allegro - Piu allgero .

ロンド( Rondo )というのは輪舞曲と日本語で訳されます。
通常は、複数の舞曲をA-B-A-Bというような形で進んでいきます。

この曲では、左手は3拍子2つ(6/8拍子)でリズムを刻んでいますが、右手のメロディーは2拍子を3つで進んでいきます。
うまくかみ合わないと踊ることが出来ない音楽になってしまいます。
オーケストラの伴奏でもピアノと同じようにリズムとメロディーが別々の拍子で音楽を進めます。

曲はピアノとティンパニだけで静かに閉じそうになりますが、最後は息を吹き返すかのようなピアノの躍動感あふれたパッセージとオーケストラの全奏で華やかに幕を閉じます。(S.S)

2016/01/03

L.v.ベートーヴェン / 2つのオブリガート眼鏡付きの二重奏曲 変ホ長調 WoO 32

この奇妙な題名の二重奏曲は、ベートーヴェンの友人のビオラ奏者とチェロ奏者のために作曲され、友人達が二人とも眼鏡を着けていたことからこの奇妙なタイトルが着けられたようです。

オブリガートとは音楽用語では「助奏」の意味でアドリブ(ad libitum)の逆の意味、楽譜上に記載された旋律や修飾を意味していますが、この曲ではイタリア語の「固定の」「必須の」の意で使われておりベートーヴェンの言葉で「演奏者に眼鏡が必須」"Duetto mit zwei obligaten Augengläsern" ( Duet requiring two pairs of spectacles ).と残されています。

作曲は1796年、作品番号にWoOが使われているように初期の作品です。
ピアノヴィルトーゾとして売り出していたベートーヴェンが耳の病に苦しんでいた時期ですが、弦楽四重奏曲と交響曲第1番を作曲するのはこの3年後 、このころはまだピアノやバイオリンのためのソナタなどの小品を作曲していました。

ビオラとチェロの二重奏なのでバイオリンのような派手さはないものの、軽妙でウィットに富んだ掛け合いが続く楽しい曲です。
どちらのパートも、特にチェロパートは高音域を用いるため、冗談のような曲名と楽しいとはいえ地味な曲で難易度も高いためあまり演奏されることはないようです。

曲はソナタ形式で充実した第1楽章とおまけのようなメヌエットの第2楽章、そして断片のみの第3楽章で構成されていますが、通常は第1楽章のみが演奏されています。


弦楽四重奏曲第4番(Op18-4)の1楽章とこの二重奏のテーマがよく似ています。
四重奏曲の発表は1799年ですが、どうやら同時期に作曲されていたようです。

2015/02/03

L.v.ベートーヴェン/序曲《コリオラン》作品62

古代ローマの英雄コリオランを題名に持つこの曲は、ベートーヴェンが好きそうな英雄と、献身的な妻、そして悲劇的な結末を持つ曲です。
序曲では「エグモント」「レオノーレ」第3番と 並んで人気のある曲ではないでしょうか。

作曲されたのは1807年、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番などが作曲されました。
室内楽では弦楽四重奏曲の「ラズモフスキーセット」がその前年となります。
翌年には「運命」「田園」というベートーヴェンのもっとも充実した作品が生まれる時期で、特に「運命」とは同じ調性(ハ短調)やAllegro con brioの指示などが共通しています。


さてこの「コリオラン」ですが題材となった戯曲のストーリーはあまり資料もありませんでしたが、シェイクスピアの戯曲「コリオレイナス」が同じ題材だそうです。
シェイクスピア晩年の作品であまり上演される機会はないようですが、2011年に「英雄の証明」としてイギリスで映画されています(原題は"Coriolanus")。

舞台はローマ最後の王が追放され共和制となった頃、ということなので紀元前5世紀頃。
ローマの将軍であったマーシアスは隣国のヴォルサイとの戦い中、「コリオライ」の街を巡る戦いで功績をあげ「コリオレイナス」の二つ名を得ます。
しかしその後の執政官選挙で敗れるローマを追放され、かつての仇敵ヴォルサイへと逃れ、逆にローマに攻め上ってくることになります。

これを母ヴォラムニアと妻ヴァージリアが説得したことでローマと和平を結び凱旋しますが、最後はマーシアスの活躍をねたむヴォルサイ人の将軍一派により暗殺されてしまいます。

戦場の英雄であるマーシアスは人間としては傲慢で、古代ローマやギリシャの英雄のような強烈な魅力は残念ながらないようです。
肉親には強烈な愛情を持ちつつも、貴族vs共和派という対立に巻き込まれ、逃れた先でも英雄視されながらも妬まれ・・・と、はて、ベートーヴェンはなぜこの戯曲を選んだのかと思いました。

「コリオレイナス」の解説をもう少し読み込んでみると、戦場の英雄であるマーシアスが一歩間違えたら独裁者になっていたところを、ローマ市民が拒否した、いわば英雄vs市民という構図であるようです。

なるほど、それであればナポレオンの戴冠に腹を立てたベートーヴェンの好みでしょうか?

参考

コリオレイナス:シェイクスピア最後の悲劇
http://shakespeare.hix05.com/tragedies3/corialanus00.index.html
「コリオレイナス」
http://www.geocities.jp/todok_tosen/shake/cor.html
映画「英雄の証明」


2014/10/13

L.v.ベートーヴェン/六重奏曲作品81b

 ベートーヴェンの室内楽と言えばやはり弦楽四重奏です。
 音楽家にとってはバッハの平均律クラビーア曲集が旧約聖書、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が新約聖書だ、とまで言う人もいるぐらいの存在感があり、前期・中期・後期それぞれの作品群はいずれも名曲ぞろいです。
 他には「大公」「幽霊」などピアノ三重奏曲も人気があるでしょうか。
 一方でこのヴァイオリン、ビオラ、チェロ、そして2本のホルンのための六重奏曲はその存在を知っている人も稀ではないでしょうか。活躍するホ ルン奏者にはもしかしたらそんなことはないかもしれませんが、「六重奏曲」と聞けばブラームスの弦楽六重奏曲を思い浮かべる人の方が多いかもしれません。
 作曲されたのは1795年頃です。
 作品番号では運命の作品67よりも後、「エグモント」作品84の前なのですが年代はもう少し遡り、交響曲や弦楽四重奏曲の第1番よりも前の作品です。
 同時期には有名なピアノソナタ「悲愴」が作曲され、まだ10代のベートーヴェンが駆け出しのピアノ・ヴィルトーゾ奏者として活動していた時期にあたります。
 室内楽演奏会のプログラムであるモーツァルトのオーボエ四重奏曲とほぼ構成が同じであることから分かるように、この時代のベートーヴェンはまだまだ古典音楽の枠組みをでていません。
 しかしホルンの限界に挑むかのような内容は若き楽聖の力作であったはずです。ベートーヴェンはボンで過ごしていた時代にホルン奏者のジムロック(後に楽譜の出版社として成功します)にホルンの演奏を習ったことがあるそうですからきっとその経験が生かされたことでしょう。
 ベートーヴェンは管楽器のためのソナタを1曲だけ残していますが、それもホルンのための作品です。「英雄」や交響曲第7番をはじめオーケストラでも活躍しますし、ホルンは楽聖にとって思い入れのある楽器であるようです。
 ホルン奏者に聴いてみると1stホルンはとにかく音が高いそうです。
 そして2ndホルンに至ってはバイオリンと同じ分散和音や細かいパッセージがでてきます。最初はホルンで、次はバイオリンで・・・と音色の違いなどを考えているのでしょうが、ホルンの吹けない弦楽器奏者から見ても大変なことは分かります。
 こうした演奏できないのではないか、という個所は後期の作品でも出てきますから、楽聖ベートーヴェンは若いころから妥協なき作曲に取り組んでいたのだ、ということかもしれません。

L.v.ベートーヴェン/交響曲第6番へ長調《田園》 作品68

9つの交響曲の中でもちょっと異色な作品がこの《田園》ではないでしょうか。
ハイドンやモーツァルトにもタイトルをもつ交響曲はありますが、具体的な情景描写をした最初の作品・・・と言われています。

もしベートーヴェンがこの作品により標題音楽の世界を開拓しなければ、ベルリオーズの幻想交響曲、リストの交響詩、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲なども生まれなかった、かもしれないほどインパクトのある作品だと思います
この曲の特徴としては各楽章にはベートーヴェンが標題をつけています。
1.「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
2.「小川のほとりの情景」
3.「田舎の人々の楽しい集い」
4.「雷雨、嵐」
5.「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」

「田園風景」というと個人的にはやはり水田が広がる風景ですが、ベートーヴェンが書いた標題は具体的などこかの風景ではなくベートーヴェンが考える情景を描いたもの、であるそうです。
ウィーンにはベートーヴェンがよく散歩をした「ベートーヴェン小径」なるところがあり、流れる小川は2楽章のイメージにもあうそうですが、都内近郊だと・・・玉川上水や等々力渓谷をイメージしています。

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」には「第六交響曲」がでてきます。
 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾くかかりでした。けれどもあんまりじょうずでないという評判でした。じょうずでないどころではなくじつはなかまの楽手の中ではいちばんへたでしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
 ひるすぎみんなは楽屋にまるくならんでこんどの町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。
この曲が実は田園だということで、作中のキーワードから推理されています。高畑勲さんが監督をしたアニメーションでは実際にNHK交響楽団の演奏が使われていていました。

「セロ弾きのゴーシュ」を読み返す機会があれば、田園をBGMにしてみるのも面白そうですね。

■参考
金聖響/「ベートーヴェンの交響曲」講談社 2007

L.v.ベートーヴェン/交響曲第8番 ヘ長調 作品93

交響曲第8番は9曲の中ではやや演奏頻度の低い部類に入る曲かもしれませんが、個人的にはとても好きな作品です。兄弟作とも言える第7番と比較されてしまいますが、第7番のような力強さや「不滅のアレグレット」のような陰りはもたない、全楽章を通し明るい曲となっています。

第8番は作曲開始が第7番の後、1811年、完成が1812年となります。
この前後にどのような歴史イベントがあったかまとめてみました。

1809年
 オーストリア戦役(ナポレオン絶頂期)
 ハイドン死去
1810年
 ヴァイオリンソナタ第10番
 弦楽四重奏第11番<<セリオーソ>>
 『エグモント』
 シューマン生まれる
1811年
 ピアノ三重奏第7番<<大公>>
1812年
 交響曲第7番・第8番
 「不滅の恋人」の手紙
 ロシア戦役
1813年
 『ウェリントンの勝利』
 ヴァーグナー、ヴェルディ生まれる
1814年
 ナポレオン退位(エルバ島へ)
 ウィーン会議
1815年
 弟カール死去
 ワーテルローの戦い
 「第9」の作曲始まる(完成は1824年)。

ナポレオン時代の終焉を迎え、「不滅の恋人」、弟カールの死、そしてスランプとベートーヴェンには様々な変化が訪れた時代です。前期・中期・後期などの分類では中期の最後、そして後期の始まりとなります。

メッテルニヒの主導するウィーン体制(「会議は踊る」で知られる)とはナポレオン時代に広まった思想を否定しそれ以前に戻そうとする政治体制であり、ベートーヴェンが自由主義思想に共感を感じていたことから危険分子とされ逮捕されたとの逸話もあります(酔っ払っていたところを逮捕されたとも・・・)。

この政治的思想の取り締まり、経済的混乱、カールの死去とが重なり第8番のあとのベートーヴェンは創作どころではないスランプへ陥り、バッハの音楽の研究と後期後半の作品群へと繋がることになります。

このような時代の直前の第8番が明るくユーモアに満ち溢れているというのは皮肉なことかもしれません。

さて、先に述べたように第7番の交響曲と比べるとやや人気の劣るところはあるかもしれませんが、形式としては古典的と見せかけてむしろより革新的な作品です。

まず構成として緩徐楽章を持たず、代わりに3楽章に置かれるスケルツォが第2楽章に、第3楽章にはベートーヴェンの交響曲の唯一のメヌエット楽章を持ちます。

スケルツォ楽章は「メトロノームのテーマ」ということで、発明家のメルツェルに送られたカノンと関連があります。と言いながら、どちらが元なのか?というのはよく分からないみたいです(シンドラーによる偽作、とも言われます)。

WoO162 カノン「愛するメルツェルさようなら」(「タ・タ・タ・カノン」)

他にもfffやpppの利用、いきなりフォルテの主題で始まる1楽章、4楽章での動機の繰り返しと、演奏する側も聴く側も飽きることのない充実した30分間ではないでしょうか。