2019/07/18

F.プーランク / ピアノ、オーボエとファゴットのための三重奏曲 FP.43

「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」

近代日本の文芸評論家、小林秀雄は著書「モオツァルト・無常ということ」で語っています。
短い生涯で紡がれた作品群には、ト短調で作られた名曲が3曲…交響曲第25番・第40番・弦楽五重奏曲第4番。先の言葉は弦五の第一楽章についての著述ですが、今回プログラム最後にお届けする25番は、まさに「疾走するかなしみ」そのものが冒頭から駆け抜けるよう。

プーランク(1899-1963)は生粋のパリジャンで、フランス6人組のなかでもミヨーと並び日本でも親しまれている作曲家であり、ピアニストでもあります。
声楽・室内音楽・管弦楽・宗教的楽劇・オペラ・バレエ音楽、と多様なジャンルの楽曲を作曲し、その作風から「軽妙洒脱」「ガキ大将と聖職者が同居している」「天真爛漫なメロディー、あふれるユーモア、そして表面上のオトボケの向こう側に、ためらいがちな悲しみが漂う」、そして親しみやすく旋律豊かな「フランスのモーツァルト」とも評されます。
が、共通しているのは、親しみやすい旋律…だけではない面もあります。
前述の「モオツァルトの疾走するかなしみ」。
これにプーランクを重ね、『疾走するアレグロによって、都会人の孤独や憂愁を描くことができたのは、モーツァルトと、他にはただひとり、プーランクのみ』という評もあるようです。
奇しくも今回のプログラムで その「疾走するかなしみ」モーツァルトのト短調のシンフォニーと、プーランクのアレグロを通り越してプレストに加速している現代人のかなしみとの両方を同時期に取り組んでいることで、この「モーツァルトとプーランクのみ」という評を「なるほど、うまいことをいうなあ!」と感嘆しながら、確かに他に無い、高揚感を伴う そのかなしみを味わい楽しんでいます。

プーランクの方が景色や場面が目まぐるしく変わるのは、馬車の時代と自動車の時代の違いでしょうか。
この曲の作曲は1926年、プーランク27歳ながら比較的初期の作品。第一次世界大戦の後の戦間期。カフェ、映画、電話、キャバレー、シャンソン、アール・デコ、ワインとタバコとコーヒー。
喧噪の街を笑いながら駆け抜けるかと思えば、カフェで誰かと向き合って、目を見ながらアツく語ったり、はたまた そっと目を伏せながら語ったり。
そんな場面が映画のワンシーンのように浮かんでは流れていくようです。

急-緩-急の3つの楽章から成り、第一楽章 Prestoは、呼びかけ語りかける序奏のあとから、まさに目まぐるしく疾走。
若者の夜は忙しいですね。
第2楽章 Andanteは「特にこの楽章がたまらなく好き」という声も多い、胸を打つメランコリックな旋律が美しい曲。
一転して第3楽章 Rondoは、この曲を献呈しているファリャの《恋は魔術師》のメロディがテーマとして使われているのも特徴的で、中間部では18歳から3年間従軍していた経験を思い起こさせるようなミリタリー風の表現もみられます。
完成し献呈されたときファリャは健在で、本曲をとても気に入ったと伝えられています。

ピアニストであり、また歌と詩をとても好んだプーランクですが、管楽器への愛着も見逃せません。
室内楽曲の一覧には、管楽器のための作品が圧倒的に多くみられます。このトリオでは、珍しく洒脱な装いで夜の街に繰り出すダブルリードの2人を、遊びなれたピアニストがエスコートしていきます。洒落っ気、快活、軽やか、洗練、ユーモアとヒューマニティ、そしてメランコリィのひしめくパリの、なんともいえず楽しい音楽です。


この曲の演奏会