2019/03/23

L.v.ベートーヴェン/交響曲第1番 ハ長調 作品21

作品番号1番や第1番というのは作曲家にはやはり特別なものなのだろうか。

有名なところではブラームスの交響曲第1番。
完成までに20年を要したことは、この曲がいかに重要なものだったかという証だろう。

天才モーツァルトはどうだろう。
K.1のピアノ曲は5歳の時なので、感慨とかはやはりないだろうか。
交響曲第1番は8歳の時の作品。
天才はきっとさらりと作曲しただろうが、ジュピターのテーマはやがて最後の第41番でも用いられる特別なものだ(しばしジュピターのアンコールで用いられる)。

ベートーヴェンは作品番号が付くまでWoO(ドイツ語で作品番号なしの作品の意)を書きあげ、作品番号1はピアノ三重奏、それからOp2-1ピアノソナタ、Op5-1チェロソナタ、Op12-1バイオリンソナタ、Op15ピアノ協奏曲、Op18-1弦楽四重奏と来てOp21がようやく交響曲の第1番だ。
こうして並べてみると破天荒な性格に見えるベートーヴェンだが実直に、少しずつレパートリーを作り上げて交響曲へとつながっているようだ。

もともとピアノ奏者からはじまるベートーヴェンだし交響曲作曲家などまだなかった時代であろうから、交響曲そのものに思い入れがあったのかはなんともだが、それでもハ長調で書きあげられたこの曲はモーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」との関連を想像させる。

「ジュピター」交響曲は古典に限らず音楽の最高峰だろう。
笑っているのか、泣いているのか、その時、演奏者によって様々な顔を見せ、バッハとはまた違う意味で“神様の音楽”だ。
終楽章のフガートは永遠に続いてほしいと思うのだが、やがて終演を迎え、神様の時代が終わる。
そして10年の時を要しこのベートーヴェンの第1番が生み出されると、最初のハーモニーと共に”人の音楽の時代”がはじまる。
そんな妄想をしてみたりする。

序奏部は本来であればハ長調のハーモニーから始まるものだが、属七の和音から焦らされて不安定な調性が続くところも、古典の終わりを予感させているようだ。
短い序奏が唐突に終わり快活な提示部へ突入すると、あとはベートーヴェンの世界だ。
第2楽章ではややハイドンを思い起こしながら(この時まだ存命であるが)、第3楽章では後のスケルツォ楽章を予感させる速いメヌエット。
そしてロンド楽章の終楽章はまだ「ハイドンの影響を感じさせる」と言われながらもベートーヴェンらしい力強さで奏でられる。まだ「闘争と勝利」のような輝かしいフィナーレではないところが、若きベートーヴェンの作品として安心して聴くことができたりもする。


ここから第9の完成までは約24年の年月を待つ。
当時の人々は当然その完成を知ることはないわけだが、もしこの時代にタイムトラベルしたとしたら、なんとも待ち遠しい時間になりそうだ。


この曲の演奏会
第43回演奏会

2019/03/16

R.シュトラウス / 13管楽器のためのセレナード 変ホ長調 作品7

R.シュトラウスと言えば、「薔薇の騎士」「ドン・ファン」「ツァラトゥストラはかく語りき」などなど大編成オーケストラで豪華絢爛な音楽、それから歌曲のイメージがあるだろうか。
実際、室内楽や協奏曲は初期にいくつかあるだけで演奏される機会はそう多くないかもしれない。
そんな中で、この「セレナーデ」は作品番号の通り初期の10代のころの作品だが「R.シュトラウスの代表的な室内楽曲」としてよく演奏され、彼の名を世に知らしめた出世作でもある。

「セレナーデ」とはもともとは女性を想って夜にリュートを鳴らすような音楽で、遡ると古代ギリシアの時代から続く音楽、らしい。
もっとも有名なセレナーデはなんと言ってもモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だろう。この曲は野外での演奏ではなく、演奏会のための管弦楽曲の形式となりつつある時代で、のちにブラームスが作曲した2つのセレナーデも夜を想う音楽、というよりは古典的な形式の管弦楽曲、と言えるだろう。

一方でこのリヒャルトの作品は(どこの時代にするかにもよるが)本来の、夜に意中の女性を想って、というテーマで作曲されている。具体的にだれを、というのはないようだが、10代の若者が恋するとしたらご近所、あるいは親戚筋の年上の女性、などとは小説の読みすぎだろうか。
純粋に音楽を楽しむには邪道かもしれないが、恐妻家として後に知られるリヒャルトの若かりし頃を想像しながら聴くのもまた楽しみとなる曲である。

ところで、「セレナーデ」は日本語では「小夜曲(さよきょく)」と書くことがある。
昔は「アイネ(ある)・クライネ(小さな)・ナハト(夜の)・ムジーク(音楽)」の訳と習った記憶なのだが、現在ではセレナーデ一般を指すようだ。
先達たちはなんとも詩的な名前をつけたものだといつも感心させられる。

この曲の演奏会
第43回演奏会

2019/03/09

J.ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102

ブラームスの交響曲と言えば4つの個性を持った作品が知られている。
完成に20年を要した第1番に始まりどの曲も魅力的であるが、第4番終楽章の集結はまさにブラームスの集大成・・・とするにはいささか早かったりする。

第4番を作曲後にブラームスは第5番の作曲に取り掛かったとされているが、紆余曲折を経て協奏曲、それも独奏楽器を2つもつ作品へと仕上げられたのがこの二重協奏曲だ。

複数の独奏楽器を持つ作品はバロックでは合奏協奏曲として多く見られていた。
バッハの2つのヴァイオリンやオーボエとヴァイオリンのための作品、ヴィヴァルディの調和の霊感、コレルリの合奏協奏曲「クリスマス・コンチェルト」などなど。
しかし時代とともにオーケストラ奏者と独奏者の分業化が進んだためか、古典以降はあまり作曲されず一般的なアマチュアオーケストラの選曲ではモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲ぐらいだろうか(マイナーなところではハイドンの協奏交響曲やベートーヴェンのトリプルコンチェルト、ショスタコーヴィチのピアノとトランペットのための作品があるが・・・)。

交響曲第5番あらため二重協奏曲とされたのには逸話があり、ブラームスの友人ヨアヒムとの不仲と、和解のためブラームスが作曲中の第5番の助言を求めたことによる。
手紙の中で「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲の着想を得た」と残しているようだが、この時期にはチェロソナタOp.99も作曲され、詩人でありチェロ奏者でもある友人ヴィトマンの影響がありあながち逸話ともいえない(ヴィトマンは「ブラームスの回想録」にもエピソードを残しているが、ブラームスとイタリア旅行に行く仲の良い友人だ)。

やがて2つの独奏楽器をもつ交響的作品、そしてブラームス最後の、と冠の付く大管弦楽のための作品として残されているが、聴衆からの評価は賛否あり、クララは「ある意味で和解の曲」と評したが実のところあまり好意的ではなかったようだ。

苦悩や対立を込められたかのような第1楽章はこの曲の半分近くを占める。
チェロからはじまる独奏は、最初はお互いが背を向けるような展開をし、近づいたら離れたりと緊張感に支配される。
短い第2楽章では昔を懐かしむような穏やかな曲へと変わり、次第に融和しながら終楽章へと向かい、最後の終楽章はユーモアに満ちた楽しげな楽章。クララはきっとこの楽章を聴き和解と呼んだのではないだろうか。

しかしである。
男女の仲とは違い男同士の友情というのはいさかか面倒な時もあり、ブラームスとヨアヒムの超一流同士だからこそ競い合うような関係、それはクララが「華やかではない」「未来がない」としたこの曲の評価そのものであるように思う。

確かにベートーヴェンの「闘争と勝利」のようなわかりやすさ、ブラームスの交響曲の印象的な、そしてヴァイオリンやピアノの協奏曲の(クララの言う)華やかな結末は確かにわかりやすく、演奏者も聴くほうも感動し満足できる展開だ。

しかしながらこちらは、50を過ぎたおやじ二人の喧嘩と和解の物語だ。
長々とした謝罪の言葉とか、後悔の告白とか、ハッピーエンドの演出など無粋である。
喧嘩した、きっかけがあった、酒を飲んだ、以上。
「ギムレットには早すぎる」のハードボイルドでよいのである。


ちなみに協奏曲を目指したが交響曲に収まったエピソードを持つ作品と言えば、ベルリオーズがパガニーニの依頼で作曲した「イタリアのハロルド」だ。
こちらは破局の曲として知られており、その点でも対極的な関係である。


この曲の演奏会
第43回演奏会