2014/10/13

W.A.モーツァルト/交響曲第41番《ジュピター》 ハ長調 K.551

《ジュピター》の通称で知られる曲は、天才モーツァルトの最後の交響曲として知られる。
特に、終楽章の「ジュピター音型」によるフーガ(正しくはフガート)は僅か10分の楽曲に彼の、そして人の一生が込められているのではないかと思ってしまうだ。

このジュピター音型は8~9歳の頃に作曲した、交響曲第1番の第2楽章でも用いられており、時にアンコールピースで取り上げられることがある。
最初と最後の交響曲で用いられているのも、何やら意味深いものがあるが、あまり言及されないものの第33番でも使われていたりする。


このジュピター音型はド-レ-ファ-ミ、つまり音名ではハ-ニ-ヘ-ホとなる。
のちにブラームスの4つの交響曲は、第1番ハ短調、第2番ニ長調、第3番ヘ長調、第4番ホ短調で作曲されているのだが、偶然なのか狙ったものなのかはどちらなのだろうか。


終楽章に至るまでの楽章も非常に素晴らしく、各楽章とも堂々としていながらどこか優しく、笑っているのか、泣いているのか、モーツァルトの晩年に得た境地が描かれている名曲中の名曲で、R.シュトラウスは「天国にいるようだ」と評した。

作曲されたのはモーツァルトの死の3年前、33歳と言うことになる。
1780年代のヨーロッパの政治と、モーツァルトにかかわる年表を少しあげてみるとこんな時代だ。
  • 交響曲第34番完成(1780年)
  • ザルツブルクからウィーンへ(1781年)
  • コンスタンツェと結婚(1782年)
  • パガニーニ生まれる(1782年)
  • 「フィガロの結婚」初演(1786年)
  • アメリカ独立戦争終結(1783年パリ条約)
  • ウェーバー生まれる(1786年)
  • ベートヴェンがモーツァルトのもとへ訪れる(1787年)
  • 「ドン・ジョヴァンニ」初演(1787年)
  • 父、L・モーツァルト死去(1787年)
  • 《ジュピター》完成(1788年)
  • フランス革命勃発(1789年)
  • モーツァルト死去(1791年)
日本では第10代家治~11代家斉、老中田沼意次、天明の大飢饉、松平定信というあたり。

ベートーヴェンはまだ楽聖への道を歩みだしたばかり、ロッシーニ(1792-1868)、シューベルト(1797-1828)、ヨハン・シュトラウ ス1世(1804-1849)、ベルリオーズ(1803-1869)など名だたる作曲家たちはまだ生まれもしていないが、フランス革命というヨーロッパの歴史イベント としても激動の時代へと突入していくことを予感させる。
個人的に、《ジュピター》の終楽章を耳にするたびにモーツァルトの死を境としてに時代が変わったのではないかと思ってしまうのだが、こうして年表を並べて見ると決して大げさではないだろう。

魔笛、クラリネット協奏曲、レクイエムをはじめとする50を超える曲が続くにも関わらず、フガートの終結は一つの時代が終わってしまったことを感じさせる。
そしてモーツァルトに次ぐ大作曲家として10年の歳月を経て、1800年にベートーヴェンが交響曲第1番を完成させる。
一体この10年の間に何が起きたのか、第1番の最初の和音が鳴り響くと共に、恐竜絶滅後の地球で哺乳類が爆発的な進化を始めたように、音楽の新しい時代がはじまる。

ところで、モーツァルトと共に古典音楽を支えたヨーゼフ・ハイドンは1809年まで存命であった。
モーツァルトの死後も交響曲を20曲ほど書き続け(ロンドン交響曲は1795年)、「ドイツの歌」の原曲を1797年に作曲し、ナポレオンのウィーン侵攻の最中に亡くなった偉大なるハイドンはどのような思いで時代の移り変わりを見ていたのだろうか。

この曲の演奏会
第40回演奏会