2014/10/12

苫米地英一/『尺八と管弦楽のための3つの連画』

 日本画家の東山魁夷は著作「日本の美を求めて」の中で次のように述べています。

「外国の文化を好んで受け入れるというこの性質は、ともすれば自国の文化のよさを見る 目を失う危険性をつねにともなっております。」

 外国文化の受容に対する日本人の特質を危惧する東山魁夷はしかし、外来文化の積極的な摂取に対して、“強力な咀嚼力”と“柔軟性をもつ融和力”によって日本人は、今なお清新な活力を持ち続け、また「自国の文化の廃退と老衰を救ってきたとさえ思われる」と述べています。

 尺八や箏、琵琶、三味線等は、今日のオーケストラのようにかつて海外から日本に輸入された“外国”の楽器でした。しかし、日本人のその特性である“咀嚼”や“融和”によって、今ではすっかり日本の“伝統楽器”となっています。

 オーケストラが“日本の伝統文化”になるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、本日のように新しい作品を作り出していくコンサートが今後もたくさん増えていくことによって、日本の文化がいつまでも生き続けることを願ってやみません。



『尺八と管弦楽による3つの連画』

残雪の情景を前に、失われていった生命に想い巡り、そして様々に移ろいでいく情感を描いています。

≪1楽章 残雪の光≫
眩いばかりに光る春の雪。冬と春が交差する特殊な空気感の中で、私たちの生命の歴史に思い及びます。

≪2楽章 精霊(しょうらい)の歌≫
精霊となっていった遥か昔からの私たちの祖先や自然、愛する人。様々な情感が湧き起ってきます。

≪3楽章 春の巡礼≫
残された私たちはこれからどこへ進んでいくのでしょうか。生命の歴史が降り積もった大地の上にはまた美しい春の情景が訪れます。

独奏の尺八は1楽章と3楽章で一尺八寸と一般的な長さの尺八を、2楽章では通常より長い二尺三寸の尺八を使っています。また音楽は、西洋音楽や尺八の様々な書法を用いながら、最後は千二百年前には既に日本に鳴り響いていた笙の和音「行」で締めくくっています。

(文:苫米地英一)