作品番号1番や第1番というのは作曲家にはやはり特別なものなのだろうか。
有名なところではブラームスの交響曲第1番。
完成までに20年を要したことは、この曲がいかに重要なものだったかという証だろう。
天才モーツァルトはどうだろう。
K.1のピアノ曲は5歳の時なので、感慨とかはやはりないだろうか。
交響曲第1番は8歳の時の作品。
天才はきっとさらりと作曲しただろうが、ジュピターのテーマはやがて最後の第41番でも用いられる特別なものだ(しばしジュピターのアンコールで用いられる)。
ベートーヴェンは作品番号が付くまでWoO(ドイツ語で作品番号なしの作品の意)を書きあげ、作品番号1はピアノ三重奏、それからOp2-1ピアノソナタ、Op5-1チェロソナタ、Op12-1バイオリンソナタ、Op15ピアノ協奏曲、Op18-1弦楽四重奏と来てOp21がようやく交響曲の第1番だ。
こうして並べてみると破天荒な性格に見えるベートーヴェンだが実直に、少しずつレパートリーを作り上げて交響曲へとつながっているようだ。
もともとピアノ奏者からはじまるベートーヴェンだし交響曲作曲家などまだなかった時代であろうから、交響曲そのものに思い入れがあったのかはなんともだが、それでもハ長調で書きあげられたこの曲はモーツァルト最後の交響曲、「ジュピター」との関連を想像させる。
「ジュピター」交響曲は古典に限らず音楽の最高峰だろう。
笑っているのか、泣いているのか、その時、演奏者によって様々な顔を見せ、バッハとはまた違う意味で“神様の音楽”だ。
終楽章のフガートは永遠に続いてほしいと思うのだが、やがて終演を迎え、神様の時代が終わる。
そして10年の時を要しこのベートーヴェンの第1番が生み出されると、最初のハーモニーと共に”人の音楽の時代”がはじまる。
そんな妄想をしてみたりする。
序奏部は本来であればハ長調のハーモニーから始まるものだが、属七の和音から焦らされて不安定な調性が続くところも、古典の終わりを予感させているようだ。
短い序奏が唐突に終わり快活な提示部へ突入すると、あとはベートーヴェンの世界だ。
第2楽章ではややハイドンを思い起こしながら(この時まだ存命であるが)、第3楽章では後のスケルツォ楽章を予感させる速いメヌエット。
そしてロンド楽章の終楽章はまだ「ハイドンの影響を感じさせる」と言われながらもベートーヴェンらしい力強さで奏でられる。まだ「闘争と勝利」のような輝かしいフィナーレではないところが、若きベートーヴェンの作品として安心して聴くことができたりもする。
ここから第9の完成までは約24年の年月を待つ。
当時の人々は当然その完成を知ることはないわけだが、もしこの時代にタイムトラベルしたとしたら、なんとも待ち遠しい時間になりそうだ。
この曲の演奏会
・第43回演奏会