2018/07/21

R.シューマン/ピアノ四重奏曲 変ホ長調 Op.47

もともとはピアニストを目指していたシューマンの作品では、やはりピアノが重要な位置を占めている、はずなのだが「ピアノソナタ」として作曲されたのは3曲である。有名な「トロイメライ」を含む「子供の情景」や「子供のためのアルバム」など小品を多く残しているが、モーツァルト(番号なし含む20曲)、ベートーヴェン(32曲)、シューベルト(21曲)と比べるとだいぶ少ない(ブラームスは3曲だ)。

またピアノを含む室内楽曲では2つの三重奏、四重奏と五重奏を1つずつ作曲している。
四重奏曲は未出版に終わったハ短調の曲があるが、一般に「シューマンのピアノ四重奏曲」とはこの変ホ長調を指す。

作曲されたのは「室内楽の年」と呼ばれる1842年、シューマンは32歳。
1840年にクララと結婚し、交響曲第1番を完成させ(1841年)、のちにピアノ協奏曲に転用される幻想曲や交響曲第4番のスケッチもはじめ、ピアニストから作曲家への転身を実現しつつある時期だ(1841年は「交響曲の年」とも呼ばれる)。
1842年にはピアノ五重奏曲、弦楽四重奏曲などを作曲した。

当時活動していたライプツィヒはメンデルスゾーンを中心に音楽院の創設、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の活動(1838年にはあの「ザ・グレート」を初演した)と充実した環境であったが、シューマンにとっては送り出した作品に伴う経済的な成功にはつながらず、神経衰弱の症状がではじめる。
1843年にはベルリオーズとの出会いに刺激を受け、オラトリオ「楽園とペリ」の成功、クララの父ヴィークとの和解、翌44年にはロシア旅行でクララがロシア皇帝の前で演奏するなど音楽家としての成功を収めたかに見えたが、神経疲労の症状は回復せず、やがて音楽院の職を辞し、ドレスデンへと移住を決意する。

全曲を通して幸せに満ちたピアノ四重奏曲であるが、そのわずか2年後にはそのような未来が待ち受けるとは誰も想像しなかったことだろう。

第1楽章:
ベートーヴェンの後期作品のような深い内省による主題提起に続き、快活なソナタ形式の音楽が続く。
第2楽章:
緊張感あるスタッカートの音楽、しかし中間部では優しい(しかしシューマンらしいシンコペーションに苦しむ)音楽を挟む。
第3楽章:
この曲の一番の聴きどころ、幸せに満ちたこの曲は過去の思い出や現在の幸せを各楽器が交代で奏でていく。思い浮かぶのは家族愛、クララへの愛情に満ちた家庭が思い浮かぶ。
曲の後半にはチェロが最低音のC線を1音下げる奏法も特徴的。
第4楽章:
一転して明るいフガートから始まる楽章。演奏者にとっては緊張の楽章だが、最後のコーダの華麗さはシューマンらしさに溢れた終結だ。

余談であるが、第3楽章では映画「君に読む物語」を思い出す。
この映画も家族をテーマにしたもので、結婚に反対され紆余曲折がありながらも長く夫婦として暮らした物語(それだけだとなんとも平凡な話だが)はおすすめの一作だ。

この曲の演奏会
室内楽演奏会vol.10