2018/04/14

W.A.モーツァルト/交響曲第38番 ニ長調 K.504《プラハ》

モーツァルトのオペラでも最も人気のある曲の一つ(どれも名曲だが)である「フィガロの結婚」は初演したウィーンでは芳しい評価が得られなかった。
一方で当時オーストリア領であったボヘミアのプラハでは大ヒットし、モーツァルト自身もプラハを訪れることになる。街行く人々が鼻歌でフィガロを歌っている、と父レオポルドに手紙を送っているぐらいの人気だったようだ。

このプラハ旅行の際に作曲し、初演されたのがこの交響曲第38番となる。
「フィガロ」の成功を受けて、ということもありこの曲にはフィガロの主題が取り入れられており、重厚さよりも軽妙さに溢れる曲になっている。
通常第3楽章にはメヌエットの楽章が配置されるが、この曲では3楽章構成となるがその理由ははっきりとしていないようだ。一説には他の作品からの転用をして後から追加するつもりとも言われるが、不完全であるとは言っても後期三大交響曲に並ぶ充実した作品であることに疑いの持ちようもない。

プラハへの旅行は好評で、次作「ドン・ジョバンニ」の受注を得る。
この時の話は映画化され、「プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード」として2017年に公開されている。もちろん演出がされているお話であるが、当時の雰囲気を楽しめるかもしれない。

プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード
http://eiga.com/movie/87719/ 



この曲の演奏会
第41回演奏会

2018/04/12

L.v.ベートーヴェン/序曲 ハ長調 Op.115 《命名祝日》

「命名祝日」序曲はオーストリア皇帝フランツ1世の祝日のために作曲された曲だ。
「ハプスブルク帝国」に連なり、神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世として1792年に即位し、フランス革命とナポレオンの台頭により1794年にフランス革命戦争がはじまると第一次対仏大同盟に参加する。
1804年にフランツ2世はオーストリア帝国の皇帝フランツ1世として即位するが、1805年の三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で敗北し神聖ローマ帝国の皇位を放棄、神聖ローマ帝国は滅亡する。
しかし引き続きオーストリア皇帝としては活躍し、宰相メッテルニヒやナポレオンに嫁いだマリー・ルイーズといった人物が知られている。

同じくフランツ1世のために作曲された曲としてはハイドンの「神よ、皇帝フランツを守り給え」が知名度としては圧倒的だろう。弦楽四重奏曲「皇帝」の一曲として、また神聖ローマ帝国以降の国家として、歌詞や編曲をされながら受け継がれ現在でもドイツ国歌として歌われている(ただし法律で決まっているわけではないらしい)。

「命名祝日」は時期としては中期に属する作品であるが、後期の作品を思わせる展開と、何よりのちの「第9」で用いられる「歓喜の歌」が聴こえてくる。交響曲第8番以降スランプに苦しむベートーヴェンが何かきっかけをつかんだ作品、かもしれないと思うと演奏の機会に恵まれないこの作品が一転思わせぶりなものになる(この曲の翌年1816年ごろからがベートーヴェンの「後期」の作品と言われることが多い)。

この曲の演奏会
第41回演奏会

2018/04/03

F.メンデルスゾーン-B/交響曲第4番 イ長調 Op.90《イタリア》

その昔「ドイツ人はイタリア好き」との話を聞いた。
かつてゲルマンと呼ばれた時代にローマ帝国により文明化(と書くと失礼なのだろうか)され、のちの時代には神聖ローマ帝国が建国されたつながり、というのがあるかもしれない。

イタリア政府観光局が発表する資料(参考資料)なるものによると、イタリアを訪れる観光客の22%はドイツからやって来て、平均で5.2泊する。これは2位のアメリカ(9.6%、2.6泊)を大きく引き離す(ちなみに日本からの観光客は9位だ)。
ちなみに別資料だとイタリアは旅行先としては3位、2位はスペイン、1位はドイツ国内らしい。

さてそんなイタリアへメンデルスゾーンもまた旅行で訪れていた。
1829年バッハの「マタイ受難曲」をベルリンで復活させたメンデルスゾーンはイングランド、ウィーン、そしてイタリアへと演奏旅行にでかける。
この時に得た着想がこの交響曲へとつながっているとされるが、題名である「イタリア」は作曲家本人によるものではなく、後世つけられたものである。
由来としては4楽章に用いられている「サルタレロ」と呼ばれるダンスで、もとはナポリの宮廷で踊られていたらしい。
動画を探してみるとこんな楽しげな踊りのようだ。


速筆のメンデルスゾーンであるがこの曲の完成は旅行からしばらく時間を要する。
完成したのは約2年後のロンドン公演の際(時間をかけた、ではなく放置していたのだろうか)、「フィンガルの洞窟」と共に演奏された。

その後メンデルスゾーンは改訂版に着手したが、残念なことに未完である。
特に第1楽章は大幅な改訂が必要と考えていたようで、今のままでも魅力的な曲であるのに、これがどうなるものなのか、聴くことができないのはとてもとても残念なことである。

参考資料
イタリアにおける外国人観光事情-ローマ観光を中心として-
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009526260/
ドイツ人に人気の旅行先TOP3
http://ja.myecom.net/german/blog/2013/10240/