2017/02/26

L.v.ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調Op.55《英雄》

ベートーヴェンが難聴であった事はよく知られているが、既に交響曲第3番の作曲にとりかかる5年ほど前(1798年ごろ)から兆候を自覚していた。1802年、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットに引きこもった彼は、音楽家にとって致命的ともいえる耳の病気に苦悩し、弟2人に宛てたいわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。

自殺さえも考えた彼であったが、危機を克服し、音楽家としての使命に目覚める。こうした劇的な構図が交響曲第3番「英雄」の根底にあると考えられる。

1803年、通称「エロイカハウス」と呼ばれるオーバデーブリングの借家でスケッチを書き、1804年中には完成をみる。長大な楽章、葬送行進曲やスケルツォといった、これまでの交響曲の常識を覆すほどの革新性をもった交響曲となった。

ナポレオンが帝位についたと聞き、「奴もまた俗物であったか!」と激怒し、表紙を破り捨てたという逸話もあるが、現存する自筆譜では「ナポレオン・ボナパルト」の題名が掻き消され「シンフォニア・エロイカ」に改められ、「ひとりの偉大な人間の思い出を記念して」と付記されている。

第1楽章 Allegro con brio
全合奏により2回和音が鳴ったのち、チェロによる主題が奏でられる。後に全合奏で演奏され、オーボエ・フルート・1stヴァイオリンの順に経過部を奏でる。長大な展開部を経たのち、2つ目の展開部ともいえるこれまた長大なコーダで力強く収束する。

第2楽章 Marcia funebre:Adagio assai
葬送行進曲の主題が1stヴァイオリンにより奏でられ、オーボエに受け継がれ簡単な経過部を経る。ハ長調に転調し木管により明るい響きが歌いだされる。壮大な頂点を築いたのち、再び葬送行進曲に戻り、静かな中に終わりを迎える。

第3楽章 Scherzo:Allegro vivace
弦楽器によりリズムが刻まれたのち、オーボエにより主題が提示される。中間部はホルンによる緊張感のある三重奏が奏でられる。

第4楽章 Finale:Allegro molto
主題と10の変奏をもつ。主題は自身が作曲したバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲から転用している。途中にトルコ行進曲のような第5変奏を挟む。徐々に厳かな雰囲気になり、最後は英雄の凱旋を想わせる圧倒的なコーダで締めくくる。

この曲の演奏会
第39回演奏会 
第45回演奏会

表紙の写真はベーレンライター社のスコアの中表紙。

Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo
英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐために作曲され
e dedicata A Sua Altezza Serenissima il Principe di Lobkowitz da Luigi van Beethoven
そしてベートーヴェンよりロプコヴィツ公殿下に献呈された