2018/07/21

L.v.B.室内管弦楽団第42回演奏会

L.v.B.室内管弦楽団第42回演奏会

2018年11月23日(金・祝) 府中の森芸術劇場ウィーンホール
13:30 開場 14:00 開演

指揮:
 広井 隆

独奏:
 岡田 澪

曲目:
 J.ハイドン/交響曲第99番変ホ長調 Hob.I:99
 W.A.モーツァルト/フルート協奏曲第1番ト長調 K.313(285c)
 F.メンデルスゾーン/序曲「フィンガルの洞窟」Op.26
 L.v.ベートーヴェン/交響曲第4番変ロ長調 Op.60

入場料:
 全席自由1,000円(前売800円)
 前売りチケットはイープラスにて取り扱い
  →イープラスへ(外部サイト)

お問い合わせ:
 メールでのお問い合わせ
 050-5892-6765(事務局)

会場アクセス:
 東府中駅(新宿駅から約25分、京王八王子駅から約20分)北口下車 徒歩7分

※弦楽器のメンバーを募集しています→詳しくはこちら

2018/07/10

J.ハイドン/交響曲第45番嬰ヘ短調 Hob.I:45「告別」

「告別」、ドイツ語ではAbschiedssinfonie、直訳すれば「別れの交響曲」。
タイトルだけ聞くといささか縁起の悪い名前かもしれない。

しかしながら知る人ぞ知るこの曲は100を超えるハイドンの、そして後世の楽曲からしてもユニークな曲だ。
ハイドンのパトロンであるエステルハージ候の避暑地に楽団員とともに訪れていた。いつになく滞在が長引くと家族と離れ離れになる楽団員からの不満も高まり、そこでハイドンが趣向を凝らした、というエピソードがこの曲の背景だ(離宮が狭く楽団員は単身赴任だったようだ)。

第1楽章、嬰ヘ短調は憂い、悩み、孤独を感じさせる調性は「シュトゥルム・ウント・ドラング」、疾風怒濤の時期でもあり緊迫した音楽から始まる。特徴的なのは展開部で、全休止の後曲調が急に穏やかになる。ソナタ形式の第二主題のような位置付けだが、冒頭の緊迫した音楽からすると実に違和感がある。
この違和感こそがハイドンの”布石”ではないかと思ってしまうところだ。

第2楽章は陽気なイ長調で作曲されているが、この曲もまたどこか違和感を感じさせる。
一見美しい音楽と、反復される動機はいつしか瞑想感、要するに眠気を感じさせながらところどころに不協和音が盛り込まれ音楽に浸ることを故意に妨げているのではないだろうか。

第3楽章は不完全燃焼した第2楽章から一転楽しげなメヌエット楽章、と思わせておきながら嬰ヘ長調、つまりシャープが6個もつけられており、大変演奏しにくい楽章だ。そしてまたもやすっきりせず不満が募っていく。

第4楽章。
ようやくここまでのハイドンの仕掛けが活きてくる。
再び決然とした音楽からはじまり、疾風怒濤の音楽が流れていく。これぞハイドンだ、とエステルハージ候も思ったことだろう(推測)。やがてやや短いものの力強い終結を迎え・・・ここから「告別」がはじまる。
曲はadagioの癒しの音楽へと変わり、そして楽団員がひとり、またひとりとステージから去っていくのである。これにはエステルハージ候も驚いたことだろう。
第3楽章までの中途半端な違和感の音楽はこの演出のためだったのかもしれない。
最後には第3楽章と同じ嬰ヘ長調へと転調し(弾きにくい!)、2人のバイオリン奏者が最後に残され、曲は終結を迎える。

観客も拍手をしたものか迷うような最後であるが、エステルハージ候は正しくこの曲の意図を汲み、翌日には帰路に着いたとされる。

余談であるが、1つ前の第44番には「悲しみ」のタイトルがつけられている。
こちらは正真正銘悲しみに満ち、ハイドンは自身の葬儀の際に演奏されることを望んだ曲である。

2018/04/14

W.A.モーツァルト/交響曲第38番 ニ長調 K.504《プラハ》

モーツァルトのオペラでも最も人気のある曲の一つ(どれも名曲だが)である「フィガロの結婚」は初演したウィーンでは芳しい評価が得られなかった。
一方で当時オーストリア領であったボヘミアのプラハでは大ヒットし、モーツァルト自身もプラハを訪れることになる。街行く人々が鼻歌でフィガロを歌っている、と父レオポルドに手紙を送っているぐらいの人気だったようだ。

このプラハ旅行の際に作曲し、初演されたのがこの交響曲第38番となる。
「フィガロ」の成功を受けて、ということもありこの曲にはフィガロの主題が取り入れられており、重厚さよりも軽妙さに溢れる曲になっている。
通常第3楽章にはメヌエットの楽章が配置されるが、この曲では3楽章構成となるがその理由ははっきりとしていないようだ。一説には他の作品からの転用をして後から追加するつもりとも言われるが、不完全であるとは言っても後期三大交響曲に並ぶ充実した作品であることに疑いの持ちようもない。

プラハへの旅行は好評で、次作「ドン・ジョバンニ」の受注を得る。
この時の話は映画化され、「プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード」として2017年に公開されている。もちろん演出がされているお話であるが、当時の雰囲気を楽しめるかもしれない。

プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード
http://eiga.com/movie/87719/ 



この曲の演奏会
第41回演奏会

2018/04/12

L.v.ベートーヴェン/序曲 ハ長調 Op.115 《命名祝日》

「命名祝日」序曲はオーストリア皇帝フランツ1世の祝日のために作曲された曲だ。
「ハプスブルク帝国」に連なり、神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世として1792年に即位し、フランス革命とナポレオンの台頭により1794年にフランス革命戦争がはじまると第一次対仏大同盟に参加する。
1804年にフランツ2世はオーストリア帝国の皇帝フランツ1世として即位するが、1805年の三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で敗北し神聖ローマ帝国の皇位を放棄、神聖ローマ帝国は滅亡する。
しかし引き続きオーストリア皇帝としては活躍し、宰相メッテルニヒやナポレオンに嫁いだマリー・ルイーズといった人物が知られている。

同じくフランツ1世のために作曲された曲としてはハイドンの「神よ、皇帝フランツを守り給え」が知名度としては圧倒的だろう。弦楽四重奏曲「皇帝」の一曲として、また神聖ローマ帝国以降の国家として、歌詞や編曲をされながら受け継がれ現在でもドイツ国歌として歌われている(ただし法律で決まっているわけではないらしい)。

「命名祝日」は時期としては中期に属する作品であるが、後期の作品を思わせる展開と、何よりのちの「第9」で用いられる「歓喜の歌」が聴こえてくる。交響曲第8番以降スランプに苦しむベートーヴェンが何かきっかけをつかんだ作品、かもしれないと思うと演奏の機会に恵まれないこの作品が一転思わせぶりなものになる(この曲の翌年1816年ごろからがベートーヴェンの「後期」の作品と言われることが多い)。

この曲の演奏会
第41回演奏会

2018/04/03

F.メンデルスゾーン-B/交響曲第4番 イ長調 Op.90《イタリア》

その昔「ドイツ人はイタリア好き」との話を聞いた。
かつてゲルマンと呼ばれた時代にローマ帝国により文明化(と書くと失礼なのだろうか)され、のちの時代には神聖ローマ帝国が建国されたつながり、というのがあるかもしれない。

イタリア政府観光局が発表する資料(参考資料)なるものによると、イタリアを訪れる観光客の22%はドイツからやって来て、平均で5.2泊する。これは2位のアメリカ(9.6%、2.6泊)を大きく引き離す(ちなみに日本からの観光客は9位だ)。
ちなみに別資料だとイタリアは旅行先としては3位、2位はスペイン、1位はドイツ国内らしい。

さてそんなイタリアへメンデルスゾーンもまた旅行で訪れていた。
1829年バッハの「マタイ受難曲」をベルリンで復活させたメンデルスゾーンはイングランド、ウィーン、そしてイタリアへと演奏旅行にでかける。
この時に得た着想がこの交響曲へとつながっているとされるが、題名である「イタリア」は作曲家本人によるものではなく、後世つけられたものである。
由来としては4楽章に用いられている「サルタレロ」と呼ばれるダンスで、もとはナポリの宮廷で踊られていたらしい。
動画を探してみるとこんな楽しげな踊りのようだ。


速筆のメンデルスゾーンであるがこの曲の完成は旅行からしばらく時間を要する。
完成したのは約2年後のロンドン公演の際(時間をかけた、ではなく放置していたのだろうか)、「フィンガルの洞窟」と共に演奏された。

その後メンデルスゾーンは改訂版に着手したが、残念なことに未完である。
特に第1楽章は大幅な改訂が必要と考えていたようで、今のままでも魅力的な曲であるのに、これがどうなるものなのか、聴くことができないのはとてもとても残念なことである。

参考資料
イタリアにおける外国人観光事情-ローマ観光を中心として-
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009526260/
ドイツ人に人気の旅行先TOP3
http://ja.myecom.net/german/blog/2013/10240/