2014/10/12

J.ブラームス/交響曲第1番ハ短調作品68

日本人に人気のある曲ランキングでも常に上位にあるこの曲。

「ブラームスらしい堅苦しさ」を持つ1楽章から始まり、各楽章共に演奏する側、聴く側どちらも満足できる作品であることは誰もが認めるところでしょうか。

4曲の交響曲では3番や4番の方が人気なのかもしれません

2番はちょっとマニア向け・・・?

いやいや、あくまで4曲を比較するからであって、どれも珠玉の逸品であることは変わりません。

指揮者の広井氏とは大学1年の冬の定期演奏会でこのブラームスの1番を演奏しました

その時は「音がだせれば満足」な程度でしたからあまり深く考えていませんでしたが、その後経験を積んでみると、特に1楽章に対して「なんとロマンチックなのだろう」と感じるようになりました。

人によってはこの1楽章は堅苦しいし、深刻だし・・・で敬遠されがちなのかもしれませんが、堅さと柔らかさの共存というか、普段いかつい顔をした頑固おやじがふとした優しさをのぞかせるような、チャーミングな曲ではないかと思っています。

個人的には広井氏とは3度目の演奏。

またゲストコンサートマスターに印田さんを迎えての演奏なので非常に楽しみにしております。
あ、ソロの代奏は楽しかったです・・・

R.A.シューマン/ピアノ協奏曲 イ短調 作品54

この曲が一部の(?)愛好家に有名なのは、「ウルトラセブン」の最終話に使われたエピソードでしょうか。

クラシックの曲がアニメや映画に使われることは珍しくはありません。
バーバーの「弦楽のためのアダージョ」なんてのはよく使われますし、映画「地獄の黙示録」ではワーグナーが使われていました。

BGMをクラシックで統一したアニメなんてのもありましたね。

このシューマンのピアノ協奏曲は、「シャイン」(1996)、「僕のピアノコンチェルト」(2006)、「4分間のピアニスト」(2006)、邦画では「わが愛の譜 滝廉太郎物語」(1993)あたりで使われています。シューマンらしい劇的な音楽は映画を気持ちよく盛り上げてくれます。

「ウルトラセブン」では、最終話でダン・モロボシ(ウルトラセブンが扮した地球人)が自らの正体を告白したシーンに始まり、怪獣との戦いと、ウルトラセブンが役割を終えウルトラの星へと還っていくまでのシーンを通じて、第1楽章が作品のほとんどのBGMとなっています。

なんでそんなに話題になるのかとためしに見てみましたが、確かに見事にマッチしている作品ではないかと思ったりしました。

L.v.B.ではあまりロマン派の作品を取り上げてこなかったせいなのか、シューマンの劇的な展開がとても新鮮です。

モーツァルトやベートーヴェンのような形式的な美しさを持つわけではなく、情緒に訴えかける音楽性に、アマチュアにもシューマン好きは結構います。

ただ、よく言われるようにオーケストレーションについてはやや難があり、オーケストラ曲だけではなく室内楽を演奏してみても、「なぜこの調なのだろうか」「なぜこの音なのだろうか」とはしばし悩まされます。

ピアノをメインとしている作曲家だからなのでしょうか?

そして管弦楽技法に加えてこの曲のチャームポイント(?)に、「ヘミオラ」の技法が使われていることが挙げられます。

ヘミオラとは、「3拍子の曲で、2小節をまとめてそれを3つの拍に分け、大きな3拍子のようにすること」(Wikipedia)だそうです。・・・よくわかりませんね

3楽章は基本的に3拍子です。

当然1・2・3の3拍で1小節をカウントします。

しかし、ここに拍子の異なる音楽が書かれているのです。

ちょっとわかりにくいですが・・・聞いている人にはこう聞こえます。
「タン・タン・タッタ タン・タン・タッタ」 
ところが譜面には、
「タン・タン ・タッタ タン・タン ・タッタ」
と書かれています。
なんのこっちゃ・・・と思われるかもしれませんが、目から入ってくる情報と、耳から入ってくる情報とが異なるので、演奏者はとても混乱します。
たとえば、三拍子は三角形を形作って指揮をします。二拍子は往復です。
理屈の上では、これは同じだけのカウントをします
 三拍子を二回→1・2・3・1・2・3
 二拍子を三回→1・2・1・2・1・2
指揮者のように腕を振ってみると、簡単にできます。

でも、右手で三拍子、左手で二拍子を同時にやるのは結構難しいです。
シューマンは、別に演奏家にそんな曲芸を求めていたわけではなく、拍子の異なる音楽をわざわざ書くことによる、不安定さ・不自然さを書いていたわけです。
演奏する側にとっては、生理現象に逆らうので、遊園地にあるマジックハウスみたいな感覚です。

きっと多くの演奏家が泣かされてきた曲ではないでしょうか・・・。

A.オネゲル/「夏の牧歌」

苦手な曲、と書いてしまうと誤解があるのかもしれませんが、「夏の牧歌」のような曲は我々アマチュアはどうも苦手です。

もちろん嫌いではないのですが(だったら選曲しませんし・・・)、なんというか、独特のセンスが必要にされる曲なのです。

たとえば、交響曲は基本的に皆で同じ方向を向いているので、集団としてのキャラクターを作るのがなんとなくできています。構成にも土台がしっかりしていて、メロディーや対旋律や刻み・和音が・・・とわかりやすのです。

しかし、この「夏の牧歌」や、以前取り上げたディーリアスは、ふわふわとした「世界観」があるだけなのです。

楽譜上はそれほど難しいわけでもないし、特殊楽器があるわけでもないのに、「楽譜通り演奏してもさっぱりわからない」という感想が残ります。

おそらく、ドイツ系の曲、たとえばベートーヴェンやメンデルスゾーン、シューマンといった曲は慣れていることもあり「形」が見えてくるのですが、フ ランス系の、特にこういった曲は出来上がりのイメージというか、絵画や映画のような映像的なイメージの共有がアマチュアは苦手なのでしょう。

技術ではなく、気持の問題でしょうが、「イメージの共有」というのも技術の一つなのでしょうか。

CDを聞きなおすたびに、いい曲だなぁと思うのですが・・・練習して上達するものでもなく、しかし曲目でとりあげない限りは自分たちに足りないものに気がつくこともなく・・・と難しい選曲です。

W.A.モーツァルト/歌劇「後宮からの誘拐」序曲

いわゆるジングシュピールといわれる、軽めのオペラです。
当時の世相を現し、東方(トルコ)の要素が取り入れられている・・・らしいです。

ヨーロッパとトルコの関係というと、こんな感じです
 1453年 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略
 1529年 第一次ウィーン包囲
 1571年 レパントの海戦
 1683年 第二次ウィーン包囲
 1685年 J.S.バッハ生まれる
 1718年~1730年 いわゆるチューリップ時代
 1756年 W.A.モーツァルト生まれる
 1768年~1774年 露土戦争
 1775年 ヴァイオリン協奏曲第3番「トルコ風」作曲
 1781年 モーツァルトがウィーン移住
 1782年 「後宮からの誘拐」作曲、モーツァルト結婚
 1783年 「トルコ行進曲」作曲
 1794年 ハイドンが交響曲第100番「軍隊」を作曲

時代としては、もうオスマン朝トルコが衰退していますね。
ウィーンにトルコ音楽が流行したのは、第二次ウィーン包囲の影響などといいますが
意外なのは、ハイドンの「軍隊」が意外と後ろの方なんですね

ちなにみ、「後宮からの逃走」というタイトルもありますが、正確な訳は「誘拐」なのだそうです
→参考:http://www.asahi-net.or.jp/~rb5h-ngc/j/k384.htm
ちなみにGoogleで調べてみると・・・
 後宮からの誘拐 に一致する日本語のページ 約 20,300 件
 後宮からの逃走 に一致する日本語のページ 約 32,100 件
「逃走」の方が多いですね・・・

苫米地英一/『尺八と管弦楽のための3つの連画』

 日本画家の東山魁夷は著作「日本の美を求めて」の中で次のように述べています。

「外国の文化を好んで受け入れるというこの性質は、ともすれば自国の文化のよさを見る 目を失う危険性をつねにともなっております。」

 外国文化の受容に対する日本人の特質を危惧する東山魁夷はしかし、外来文化の積極的な摂取に対して、“強力な咀嚼力”と“柔軟性をもつ融和力”によって日本人は、今なお清新な活力を持ち続け、また「自国の文化の廃退と老衰を救ってきたとさえ思われる」と述べています。

 尺八や箏、琵琶、三味線等は、今日のオーケストラのようにかつて海外から日本に輸入された“外国”の楽器でした。しかし、日本人のその特性である“咀嚼”や“融和”によって、今ではすっかり日本の“伝統楽器”となっています。

 オーケストラが“日本の伝統文化”になるにはまだ少し時間がかかるかもしれませんが、本日のように新しい作品を作り出していくコンサートが今後もたくさん増えていくことによって、日本の文化がいつまでも生き続けることを願ってやみません。



『尺八と管弦楽による3つの連画』

残雪の情景を前に、失われていった生命に想い巡り、そして様々に移ろいでいく情感を描いています。

≪1楽章 残雪の光≫
眩いばかりに光る春の雪。冬と春が交差する特殊な空気感の中で、私たちの生命の歴史に思い及びます。

≪2楽章 精霊(しょうらい)の歌≫
精霊となっていった遥か昔からの私たちの祖先や自然、愛する人。様々な情感が湧き起ってきます。

≪3楽章 春の巡礼≫
残された私たちはこれからどこへ進んでいくのでしょうか。生命の歴史が降り積もった大地の上にはまた美しい春の情景が訪れます。

独奏の尺八は1楽章と3楽章で一尺八寸と一般的な長さの尺八を、2楽章では通常より長い二尺三寸の尺八を使っています。また音楽は、西洋音楽や尺八の様々な書法を用いながら、最後は千二百年前には既に日本に鳴り響いていた笙の和音「行」で締めくくっています。

(文:苫米地英一)