2019/11/08

R.シューマン / チェロ協奏曲 イ短調 作品129

何事にも定番とか人気というものがある。
なんとかランキングとか、三大なんとかと言われるとよく分からないが納得してしまうことはないだろうか。

協奏曲で三大協奏曲と言えばすべてバイオリン協奏曲で、誰が決めたかは知らないがベートーヴェン・ブラームス・チャイコフスキーの作品だ(ただし日本限定、らしい)。
一方チェロの場合は・・・どうもドヴォルザークの作品一強、対抗でハイドンとエルガーの作品が挙げられるように思う(※個人の感想です)。

しかしながらあまり演奏されないだけで、魅力的な作品はもちろんたくさんある。
例えば我々も以前選曲したチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」やサン=サーンスの協奏曲、その他にもヴィヴァルディ、シュターミッツ、ポッパー、ディーリアス、ラロなどなど(天才モーツァルトにもチェロ協奏曲があるようだが残念ながら紛失されたようだ)。

このシューマンの作品もそうした演奏される機会の少ない曲だろう(※むしろ有名だとする説もあるが個人の感想です)。

まず1回聴いてみる。

実に地味な作品だ。
記憶に残らないのが正直なところ(※個人の感想です)。
ピアノ協奏曲もチャイコフスキーなどに比べれば地味だがまだ耳に残る曲なのだ(年代によっては某特撮ヒーロー番組で使われたシーンを思い出すだろうか)。

しかしここで諦めずに、できればスコアを眺めながら何度も聴いてみるのである。
何度も聴いて主題を覚える(残る、ではなく覚えるのがコツ)といつしかこの曲の魅力が分かってくる。

そもそもシューマンとはどのような人物だっただろうか。
メンデルスゾーンほどではないがそこそこ裕福な家庭に生まれ、ピアニストを目指すも指の故障により挫折し作曲家への道を志す。
実はこの時にチェロ奏者の道も考えていたので、チェロという楽器に対する思い入れがあるのだろう。チェロソナタこそ残されていないが、室内楽曲では実に「おいしい」ところをチェロが担っている。

もうひとつシューマンを語るうえで外せないのが、クララの存在だ。
自身も当時のドイツを代表するピアニストであり、四男四女の母親であり(長男エミールは1歳で亡くなっている)、そして精神的に不安定なシューマンの創作活動を支え、シューマンの死後もその作品を演奏し普及させた偉大な人だ。
この人がいなければシューマンの活動もこの作品も残されることはなく、ということは後に続くブラームスやドヴォルザークも生まれなかったわけで、後世の人間も多大な感謝を捧げねばならないのである。

作曲された1850年はデュッセルドルフで音楽監督の地位を得た安定した時期であり、創作意欲にあふれ同時期にはヴァイオリンソナタ、交響曲第3番、レクイエムなども作曲された。

そうした背景をもとにもう一度チェロ協奏曲を聴いてみる。
悩み、嘆くような第1楽章、クララへの想いであろう愛情に満ちた第2楽章、そして「Sehr lebhaft(とても元気よく)」と指示される第3楽章では幸せな生涯を歌い上げるようだ。
デュッセルドルフへの移住もクララの賛同があってこそ実現したものであり、シューマンの愛情、感謝、そうした想いが込められた作品なのかもしれない。

しかしながら次第に精神の不安定さがあらわれてくるシューマンはこの後様々な批判に晒されることになるのだが、そんななか1853年、若きブラームスがシューマンを訪れる。
このふたりの出会いを誰よりも喜んだのはシューマン自身であろう。
楽し気な第3楽章を聴きながら、先に待つ辛い時代と新たな出会い、そんなことも考えてみるのも面白い。


この曲の演奏会
第44回演奏会