1890年秋、57歳を迎えたブラームスは既に勲章や故郷ハンブルク名誉市民の称号を贈られるなど、栄光の頂点に立ち、名声も不動のものとなっていた。
しかし、保養地イシュルで遺言書を作成するなど自身の身辺整理や創作活動からの引退を考えていた。 この時、ブラームスは友人にこう書き送っている。
「私は、もう年をとりすぎたと思うし、精力的にはなにも書かないと決心した。 私は、自分の生涯が十分に勤勉なもので、達成されたと思ったし、人に迷惑をかけない年齢となり、いまや平和を楽しむことができると考えた」[1]
翌1891年3月、マイニンゲンを訪れたブラームスは、宮廷楽団のクラリネット奏者であるリヒャルト・ミュールフェルトと出会う。
彼の演奏するモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」、ウェーバーの「クラリネット協奏曲」に感銘を受けたブラームスはクラリネットのために「三重奏曲 Op.114」、「五重奏曲 Op.115」と二曲の「クラリネットソナタ Op.120」を書き残した。 特に「クラリネット五重曲 Op.115」は晩年屈指の名作で、室内楽の代表作として知られている。
第1楽章 Allegro ソナタ形式
冒頭、両ヴァイオリンによって3拍子・ニ長調を思わせる動機が提示されるが、すぐに6拍子・ロ短調をクラリネットの登場で決定的なものとする。
チェロが哀愁に満ちた第1主題を奏で、ヴァイオリンが引き継いだのち全員の強奏で副次主題を迎える。その後、クラリネットによる第2主題に引き継がれる。 冒頭の動機や副次主題を変化させた展開部を迎え、冒頭の動機を引き継いだ再現部に至る。熱狂的なコーダを迎えたのち、最後は静かにクラリネットが第1主題を奏でて終える。
第2楽章 Adagio 三部形式
クラリネットがどこか愛情と悲しみ満ちた奥深い旋律を奏で、弦楽器がそれを支え展開していく。中間部はハンガリーのロマ音楽による影響を強く思わせる。
クラリネットによるアリアが繰り返され、ブラームス自身の独白を思わせる。第1部を思わせる再現部から静かに最後を迎えるが、冒頭とはやや異なっている。
第3楽章 Andantino - Presto non asai, ma con sentimento - Andantino
後述するように意識したであろうモーツァルトの作品ではメヌエットが置かれたが、ブラームスはあえて取り入れた素早いプレスト部を含み、 変奏曲である第4楽章との対比を明確なものにしている。
第4楽章 Con moto 変奏曲形式
主題、5つの変奏、コーダからなる。哀愁に満ちた美しい主題が歌われたのち、既に原型を見出すことが難しい第1変奏をチェロが示す。
第2変奏ではさらに原型から遠ざかるが、第3変奏では再び原型に近づく。第4変奏でロ長調に転調するも、ヴィオラによって主題が奏でられる第5変奏では再びロ短調に戻る。 第1楽章冒頭を思わせる動機がクラリネットにより奏でられ、コーダで両者が融合し統一をもたらす。
ブラームスは作曲するにあたって、モーツァルトの「五重奏曲 Kv.581」を意識したであろう事は、4楽章に同じく変奏曲を置いている点だけでも伺い知れる。
その一方でロマン主義的なメロディーが曲全体に溢れていたり、終楽章で第1楽章の動機が再現する構成は「弦楽四重奏曲第三番 Op.67」や「交響曲第三番 Op.90」にも見られるブラームスを特徴づけるものである。
[1] 門馬直美著『ブラームス』大音楽家 人と作品<10> 音楽之友社