2019/03/09

J.ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102

ブラームスの交響曲と言えば4つの個性を持った作品が知られている。
完成に20年を要した第1番に始まりどの曲も魅力的であるが、第4番終楽章の集結はまさにブラームスの集大成・・・とするにはいささか早かったりする。

第4番を作曲後にブラームスは第5番の作曲に取り掛かったとされているが、紆余曲折を経て協奏曲、それも独奏楽器を2つもつ作品へと仕上げられたのがこの二重協奏曲だ。

複数の独奏楽器を持つ作品はバロックでは合奏協奏曲として多く見られていた。
バッハの2つのヴァイオリンやオーボエとヴァイオリンのための作品、ヴィヴァルディの調和の霊感、コレルリの合奏協奏曲「クリスマス・コンチェルト」などなど。
しかし時代とともにオーケストラ奏者と独奏者の分業化が進んだためか、古典以降はあまり作曲されず一般的なアマチュアオーケストラの選曲ではモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲ぐらいだろうか(マイナーなところではハイドンの協奏交響曲やベートーヴェンのトリプルコンチェルト、ショスタコーヴィチのピアノとトランペットのための作品があるが・・・)。

交響曲第5番あらため二重協奏曲とされたのには逸話があり、ブラームスの友人ヨアヒムとの不仲と、和解のためブラームスが作曲中の第5番の助言を求めたことによる。
手紙の中で「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲の着想を得た」と残しているようだが、この時期にはチェロソナタOp.99も作曲され、詩人でありチェロ奏者でもある友人ヴィトマンの影響がありあながち逸話ともいえない(ヴィトマンは「ブラームスの回想録」にもエピソードを残しているが、ブラームスとイタリア旅行に行く仲の良い友人だ)。

やがて2つの独奏楽器をもつ交響的作品、そしてブラームス最後の、と冠の付く大管弦楽のための作品として残されているが、聴衆からの評価は賛否あり、クララは「ある意味で和解の曲」と評したが実のところあまり好意的ではなかったようだ。

苦悩や対立を込められたかのような第1楽章はこの曲の半分近くを占める。
チェロからはじまる独奏は、最初はお互いが背を向けるような展開をし、近づいたら離れたりと緊張感に支配される。
短い第2楽章では昔を懐かしむような穏やかな曲へと変わり、次第に融和しながら終楽章へと向かい、最後の終楽章はユーモアに満ちた楽しげな楽章。クララはきっとこの楽章を聴き和解と呼んだのではないだろうか。

しかしである。
男女の仲とは違い男同士の友情というのはいさかか面倒な時もあり、ブラームスとヨアヒムの超一流同士だからこそ競い合うような関係、それはクララが「華やかではない」「未来がない」としたこの曲の評価そのものであるように思う。

確かにベートーヴェンの「闘争と勝利」のようなわかりやすさ、ブラームスの交響曲の印象的な、そしてヴァイオリンやピアノの協奏曲の(クララの言う)華やかな結末は確かにわかりやすく、演奏者も聴くほうも感動し満足できる展開だ。

しかしながらこちらは、50を過ぎたおやじ二人の喧嘩と和解の物語だ。
長々とした謝罪の言葉とか、後悔の告白とか、ハッピーエンドの演出など無粋である。
喧嘩した、きっかけがあった、酒を飲んだ、以上。
「ギムレットには早すぎる」のハードボイルドでよいのである。


ちなみに協奏曲を目指したが交響曲に収まったエピソードを持つ作品と言えば、ベルリオーズがパガニーニの依頼で作曲した「イタリアのハロルド」だ。
こちらは破局の曲として知られており、その点でも対極的な関係である。


この曲の演奏会
第43回演奏会