オーケストラのレパートリーでもおなじみのロベルト・シューマンは元々はピアニストを志望していました。
母ヨハンナは音楽家ではないもののピアノを弾いていましたが、日本でいう中学校でピアノを習い始めたロベルトはやがてその才能を開花させ、校内演奏会での演奏や作曲を始めたりしています。
そのまま音楽への道を歩むことはなく大学では法学を学ぶことになります。
これは母ヨハンナの意向が強かったようだが音楽への情熱が消え去ることはなく、2年後1830年、20歳の時に音楽への道を改めて歩むのでした。
師であるヴィークの娘であるクララと恋仲になりますが、ヴィークの反対で5年にわたる争いが続き、1840年、最後は法廷での決着で結婚が認められることになります。
結婚後ロベルトはベートーヴェンの室内楽曲を研究し、その成果の一つが1842-43年にわたる「室内楽の年」に作曲されたピアノ五重奏曲で、初演ではクララがピアノを演奏しています。
現在でもピアノと弦楽器の室内楽曲の代表的なレパートリーであり、特にピアノ五重奏ではブラームスと並ぶ人気のある作品です。
brillante=華やかな、輝かしく、と指示された第1楽章は力強い主題とシューマンらしい歌に満ちた明るい楽章。
第2楽章は葬送行進曲のような深く沈む音楽、やや複雑なトリオを経て、最後の4楽章は自由に歌い続け、最後はフーガの形式をとるコーダで華やかに終わります。
シューマンの作品らしく、明るい時も暗い時も「歌」に満ちた作品で、何度演奏しても、聴いても楽しめる曲です。
この曲の演奏会
・室内楽演奏会vol.7