ページ

2015/02/15

G.U.フォーレ/パヴァーヌ 作品50

読み返してみると、フォーレの曲紹介は3回目でした。
そろそろネタも尽きるかと思いましたが改めてフォーレの魅力を書きなぐってみたいと思います。

フォーレと聞いて思い浮かべることはなんでしょうか。
ラヴェルの師であり、ドビュッシーがよく批判していた
オルガン奏者でもあった。
実は女性関係は派手だった。
「レクイエム」が人気。
などなど。

作品は幅広く、交響曲こそありませんが室内楽や歌曲、それから劇音楽、歌劇で作品を残しています。個人的に好きなのはヴァイオリンソナタ第2番、ピアノ五重奏曲第1番、歌曲では「月の光」などでしょうか。

この「パヴァーヌ」は合唱入りでも演奏されることがあり、劇音楽「マスクとベルガマスク」 の終曲でもありますが、もともとは独立した曲です(つまり使い回しをされています)。
パヴァーヌは古い時代の踊り(つまりメヌエットとかガボットなどと同じようなもの)で、フランスだけではなくスペインやイングランドの宮廷でも踊られていたようです。
ステップは割と即興なもので、教会のウェディングで新婦が入場する時の「ためらいの歩み」がパヴァーヌのステップの名残とか。

フォーレの作風は「美」でしょうか。
「アール・ヌーヴォーの音楽」と位置づけられることもありますが、その美しさはどこか退廃的、世紀末の音楽と感じています。
室内楽ではアルペジオ(分散和音)が多用されピアニストを泣かせますが、「なんかうにゃうにゃしていて分かりにくいんだよね」と周囲から聞こえてくる評価が意味するところはその分かりにくさにある気がします。

「美しい花」という話があります。
花を「美しい」と感じるのは人間の心です。
でも人が美しいと感じなくても花はそこに存在しています。

モーツァルトであれば「花とそれを巡る人たちのドタバタ劇」をオペラにし、ベートーヴェンは「花をテーマとする闘争と勝利」(どんな展開だ?)、ブラームスは「花の動機展開」と各作曲家がやりそうなことを妄想してみますが、フォーレの音楽は「花を美しく描く」ことではないでしょうか。

花の美しさを描くではなく、花は美しいでもなく、というのがポイントです。
花を見かけた時にただ「美しい」と感じる、あるいは美味しいものを食べた時に「美味しい」と感じられるのか、フォーレの音楽はそんな日々忘れがちな素直な感覚に訴えかけてくるところがたまらないのですがいかがでしょうか?

参考
橋本治「小林秀雄の恵み」(4)《美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。》

ヴァイオリンソナタ第2番

ピアノ五重奏曲第1番

「月の光」

2015/02/14

L.v.B.室内管弦楽団 室内楽演奏会vol.4

2015年8月2日(日) ティアラ江東 小ホール
13:00 開場 13:30 開演
入場無料
 
曲目:
 L.v.ベートーヴェン / 管楽六重奏曲 変ホ長調 Op.71
 J.ブラームス / 弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調 Op.18
 W.A.モーツァルト / ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478
 L.テュイレ / ピアノと木管五重奏のための六重奏曲 変ロ長調 Op.6


管楽・弦楽のアンサンブルで選曲をした今回の室内楽演奏会も魅力的な作品が集まりました。

前半は時折モーツァルトを感じさせるベートーヴェン初期の管楽六重奏曲に始まり、ブラームスの名曲、弦楽六重奏曲第1番。
そして後半は初の試みのピアノを含むアンサンブルです。
モーツァルトは数少ない短調の作品、そしてテュイレはリヒャルト・シュトラウスの親友であるフランス系ドイツ人で、親友とは真逆の保守的・古典的な作品を残しています。

あまり演奏される機会のない作品ですのでお聴き逃しなく!

お問い合わせ
 メールでのお問い合わせ

会場アクセス:
 地下鉄 都営新宿線・東京メトロ半蔵門線 「住吉」駅下車 A4出口より徒歩4分


2015/02/03

L.v.ベートーヴェン/序曲《コリオラン》作品62

古代ローマの英雄コリオランを題名に持つこの曲は、ベートーヴェンが好きそうな英雄と、献身的な妻、そして悲劇的な結末を持つ曲です。
序曲では「エグモント」「レオノーレ」第3番と 並んで人気のある曲ではないでしょうか。

作曲されたのは1807年、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番などが作曲されました。
室内楽では弦楽四重奏曲の「ラズモフスキーセット」がその前年となります。
翌年には「運命」「田園」というベートーヴェンのもっとも充実した作品が生まれる時期で、特に「運命」とは同じ調性(ハ短調)やAllegro con brioの指示などが共通しています。


さてこの「コリオラン」ですが題材となった戯曲のストーリーはあまり資料もありませんでしたが、シェイクスピアの戯曲「コリオレイナス」が同じ題材だそうです。
シェイクスピア晩年の作品であまり上演される機会はないようですが、2011年に「英雄の証明」としてイギリスで映画されています(原題は"Coriolanus")。

舞台はローマ最後の王が追放され共和制となった頃、ということなので紀元前5世紀頃。
ローマの将軍であったマーシアスは隣国のヴォルサイとの戦い中、「コリオライ」の街を巡る戦いで功績をあげ「コリオレイナス」の二つ名を得ます。
しかしその後の執政官選挙で敗れるローマを追放され、かつての仇敵ヴォルサイへと逃れ、逆にローマに攻め上ってくることになります。

これを母ヴォラムニアと妻ヴァージリアが説得したことでローマと和平を結び凱旋しますが、最後はマーシアスの活躍をねたむヴォルサイ人の将軍一派により暗殺されてしまいます。

戦場の英雄であるマーシアスは人間としては傲慢で、古代ローマやギリシャの英雄のような強烈な魅力は残念ながらないようです。
肉親には強烈な愛情を持ちつつも、貴族vs共和派という対立に巻き込まれ、逃れた先でも英雄視されながらも妬まれ・・・と、はて、ベートーヴェンはなぜこの戯曲を選んだのかと思いました。

「コリオレイナス」の解説をもう少し読み込んでみると、戦場の英雄であるマーシアスが一歩間違えたら独裁者になっていたところを、ローマ市民が拒否した、いわば英雄vs市民という構図であるようです。

なるほど、それであればナポレオンの戴冠に腹を立てたベートーヴェンの好みでしょうか?

参考

コリオレイナス:シェイクスピア最後の悲劇
http://shakespeare.hix05.com/tragedies3/corialanus00.index.html
「コリオレイナス」
http://www.geocities.jp/todok_tosen/shake/cor.html
映画「英雄の証明」