第8番は作曲開始が第7番の後、1811年、完成が1812年となります。
この前後にどのような歴史イベントがあったかまとめてみました。
1809年
オーストリア戦役(ナポレオン絶頂期)
ハイドン死去
1810年
ヴァイオリンソナタ第10番
弦楽四重奏第11番<<セリオーソ>>
『エグモント』
シューマン生まれる
1811年
ピアノ三重奏第7番<<大公>>
1812年
交響曲第7番・第8番
「不滅の恋人」の手紙
ロシア戦役
1813年
『ウェリントンの勝利』
ヴァーグナー、ヴェルディ生まれる
1814年
ナポレオン退位(エルバ島へ)
ウィーン会議
1815年
弟カール死去
ワーテルローの戦い
「第9」の作曲始まる(完成は1824年)。
ナポレオン時代の終焉を迎え、「不滅の恋人」、弟カールの死、そしてスランプとベートーヴェンには様々な変化が訪れた時代です。前期・中期・後期などの分類では中期の最後、そして後期の始まりとなります。
メッテルニヒの主導するウィーン体制(「会議は踊る」で知られる)とはナポレオン時代に広まった思想を否定しそれ以前に戻そうとする政治体制であり、ベートーヴェンが自由主義思想に共感を感じていたことから危険分子とされ逮捕されたとの逸話もあります(酔っ払っていたところを逮捕されたとも・・・)。
この政治的思想の取り締まり、経済的混乱、カールの死去とが重なり第8番のあとのベートーヴェンは創作どころではないスランプへ陥り、バッハの音楽の研究と後期後半の作品群へと繋がることになります。
このような時代の直前の第8番が明るくユーモアに満ち溢れているというのは皮肉なことかもしれません。
さて、先に述べたように第7番の交響曲と比べるとやや人気の劣るところはあるかもしれませんが、形式としては古典的と見せかけてむしろより革新的な作品です。
まず構成として緩徐楽章を持たず、代わりに3楽章に置かれるスケルツォが第2楽章に、第3楽章にはベートーヴェンの交響曲の唯一のメヌエット楽章を持ちます。
スケルツォ楽章は「メトロノームのテーマ」ということで、発明家のメルツェルに送られたカノンと関連があります。と言いながら、どちらが元なのか?というのはよく分からないみたいです(シンドラーによる偽作、とも言われます)。
WoO162 カノン「愛するメルツェルさようなら」(「タ・タ・タ・カノン」)
他にもfffやpppの利用、いきなりフォルテの主題で始まる1楽章、4楽章での動機の繰り返しと、演奏する側も聴く側も飽きることのない充実した30分間ではないでしょうか。