私自身はアマチュアのプレイヤーにありがちなことに、オペラとの接点があまりない。・・・むしろはじめてだろうか?
もちろんオペラの序曲は数多く演奏してきた。
そのときに指揮者がふと口にする「これは○○の主題」「これは△△の場面の音楽」にあまりオーケストラは興味がないといえば興味がなかったりする。重要なのは”序曲として”独立して成立している曲なのであって、決してそのオペラそのものではないのである。
R.シュトラウスの「薔薇の騎士」を演奏するときに、その全体の物語に目を通すか?
あるいはアンコールのレパートリーとして有名な、シューベルトの「ロザムンデ」やマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲をその1曲だけで演奏したような気になっていないだろうか。
なんとも、アマチュアとは贅沢であり、また無知であり、無謀である。
もちろん、楽しみ方にはいろいろあるのだし、序曲だけで取り上げられるだけの曲は、やはりそれだけの魅力を持っている。ただ、それだけで木を見て森を見たつもりになって満足してしまうのはもったいない話ではないだろうか。
別に学者ではないのですべてに通暁している必要はまったくないが、自分が好きで浸っている世界なのである。アマチュア演奏家はもっと貪欲になっていいはずだ。
さてドン・ジョヴァンニ、あるいはドン・ファン。ようするに軟派男の代名詞である。現代風に言えば結婚詐欺師か。
一応オペラブッファに分類されるはずなのだが、ストーリーはなんともドロドロしている(ここでストーリーを書き出すととまらなくなるので、割愛しておこう)。
モーツァルト自身は決して健全な、というか人格者ではない。本人にあったことがないので映画「アマデウス」のイメージが強いのだが、下ネタ満載の彼
の手紙はその音楽、例えば交響曲第40番あたりの世界とはあまりにかけはなれている。そしてそれがまたモーツァルトの魅力だったりする。
ある意味、女性経験の豊富な(とされる)モーツァルトにとっては一見ふさわしいドン・ジョヴァンニであるが、そのラストを考えると単純にそうともい
えない。ドン・ジョヴァンニは自分の生き方を変えることを拒否して遂には地獄に送られてしまう。もしかしたら・・・モーツァルトはどこか自分の生き方を重
ねていたのではないだろうか。
ところで、ベートーヴェンがウィーンのモーツァルトを訪れた際に、この「ドン・ジョヴァンニ」を作曲中だったという話もある。二人の出会いは1787年4
月で、ドン・ジョヴァンニの初演は1787年10月。普通に考えれば4月にはこれだけの曲なのだから着手していそうだが、初演日の2日前から書き始めたと
の話もある。
・・・モーツァルトだけに否定できないのが恐ろしい。
またベートーヴェンの即興演奏を聴いたモーツァルトは「この少年を覚えておきたまえ」と周囲に語ったとされているのは有名な話だが、実はこれは本当かどうかはわからないらしい。
ひとつ確かなことは、ベートーヴェンはドン・ジョヴァンニのような人間は嫌いだろう、ということぐらいか。歌劇「ドン・ジョヴァンニ」についてどのような評価をしていたのかは、また謎である。
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